六田知弘

MUDA TOMOHIRO >> Topics 2004

トピックス

写真家・六田知弘の近況 2004

展覧会や出版物、イベントの告知や六田知弘の近況報告を随時掲載していきます(毎週水曜日更新)。

過去のアーカイブ

2004.12.29 中国仏教美術研究の第一人者、東山健吾氏

先日、2月22日からの私の写真展「雲岡」の会場となる東京京橋の古美術店「繭山龍泉堂」で中国仏教美術研究の第一人者である東山健吾先生にお会いしました。
そこで先生に写真展によせる一文をお願いしたのですが、たいへん光栄にも快くお引き受けいただきました。約一時間、写真をご覧いただきながらお話したのですが、先生はあたかも、ひとりでグングンとすごい勢いで石窟群を歩き回っておられるごとくでそのエネルギーと情熱には少々驚かされました。それにしても、あのやわらかいお顔のなかの向けられると思わずたじろいでしまうような黒く強力な眼光はなんでしょう。(六田知弘)

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2004.12.22 3つの茶碗

それは、未だ経験したことのない激しい既視感でした。
先日、今年3月10日付けのこのトピックスでも紹介した曜変天目の復元に取り組んでおられる瀬戸の長江惣吉さんから3つの茶碗が送られてきました。見込に星雲のように中心に向かって渦巻く大きな斑紋が青黒色に虹彩を放つものが二碗と、見込一面にエナメル塗料を塗ったかのように角度によって青、赤、紫、緑などに変化する曜変天目というより虹彩天目と言った方が適切かと思われるようなものが一碗でした。3月に数点見せていただいたのですが、もちろん写真撮影ははじめてでした。金曜日の夜11時からはじめ、2時頃に撮影を終えました。撮影していた3時間とその後の1時間、私は異常な既視感に襲われ続けていました。以前にもこれをこうして撮っていたような気がする。いや、確かにこの時間と同じ時間を経験した。いやそんなはずはない。以前にこの曜変天目は見たことはあるが、撮影をするのははじめてだ。いややはり、いつごろからかはわからないがだいぶ前からこの撮影が続いているじゃないか……。まるで地殻変動によって褶曲や断層が生たたようにわたしの意識の時系列に大きな屈折が生じたようでした。危ないと思いました。しかしすぐにぐんぐんとブラックホールのようなものに引き込まれていきました。茶碗を箱にしまい、布団にもぐり込んだ後もその感覚はなかなか薄れず、正直、正気で目覚めることかできるのか少々不安でもありました。本当は、こんな感覚を強くもったままで美術品を撮るのは危険なことです。もっと距離をとらなければいけません。だいいち美術品を傷つけるような事故につながる可能性も高くなります。しかし、私はこれまで数多くの美術品の撮影をしてきましたが、こんな感覚をこれほだ強く覚えたのははじめてでした。長江惣吉さんが、先代から続いて取り組んでこられた曜変天目。私にはちょっとおそろしいものを感じます。(六田知弘)

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2004.12.15 妊婦の土偶

先日、縄文の土偶を撮影しました。
おそらく世にほとんど知られていないものと思われますが、とにかく一目見てその存在感に圧倒されてしまいました。
それは、20cm程の妊婦の土偶です。縄文土偶によくあるように頭部は欠けており、立っていたのか座っていたのか分かりませんが、両足も前方に向かって欠損し、底部は平になっています。どういうわけか乳房はまったくないのですが、両手をうしろに組み、おもいっきりせり出したお腹を前に突き出し、その下腹部には大きくくぼんだオヘソと性器が誇張されて表されています。身体の各所に入れ墨と思われる沈線と刺突文が施されています。表面は赤っぽく、全身が磨研されていて張りと艶があります。以上その特徴を挙げましたが、とにかく触るとほてった熱を感じるようで、大いなる自然のなかからうまれた全身から生命力があふれ出るその造形にひ弱な弥生人の血をひいているのであろう私の精神はすっかりバランスを崩されて、しばらくそれにレンズを向けることができないほどでした。縄文時代が始まるのが今から一万数千年前で弥生が始まるのは僅か二千数百年前。すごい基層がわれわれ日本人の文化の底にある事をあらためて知らされた気がしました。(六田知弘)

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2004.12.08 オリオン座を見ると…

わたしは、このところ毎晩、犬の散歩と自分の運動をかねて近所の坂道の上り下りをしています。今夜(12月6日)は特別に星がよく見えました。
丘陵のてっぺんからは満天の星のなかに東の空のオリオン座がひときわクリアに輝いてみえました。
オリオン座を見ると中学生の頃、陸上部であった私はトレーニングのために顔に冷たい空 気をうけながらオリオン座の方向に向かって走っていたことを思い出します。満天の星。二十数年まえにネパールのヒマラヤ山中の村に暮らしていた頃、銀色にそそり立つ高嶺の上に針のように固くきらめく千万の星、十数年前、韓国の仁川からシンガポールに向かう船上で、あるいバングラデシュの海抜0メートルの低地で眺めた遮るものが全くない完璧な漆黒の半球に無数に散らばる光のかけら。星を見ていると無限にひろがる宇宙のなかの私という現象のいま在る位置がなんとなく解るように思えてくるのは、星と私との三角測量法の単純な応用によるものなのでしょうか。わたしもこの地球に生をうけて今日でちょうど48年になりました。(六田知弘)

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2004.12.01 2005年の展覧会スケジュール

私の撮影による2つ個展の開催が決定しました。
ひとつが、2005年2月22日から3月4日まで東京、京橋の古美術の老舗である繭山龍泉堂の2階、3階をお借りして、中国仏教遺跡の雲崗石窟を撮った「雲崗」展(仮題)。
もうひとつが5月3日から8日まで東京の日本橋三越本店にて開催予定の、日本美術を撮った「日本美巡礼」展(仮題)です。
二つとも私には身に余る会場ですが、みなさんに落ち着いてにじっくりとご覧いただける写真展にできればと考えております。また詳細につきましては開催日が近づきましたらこのホームページででもご案内させていただきます。(六田知弘)

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2004.11.24 白化粧の仮面
仮面

このまえの日曜日、高幡不動の「ござれ市」でひとつの仮面を見つけました。
どこのものかわからなかったのですが、最近見かけるような最初から商品として作ったものではなく、実際に現地でなんらかのかたちで使用されたものだということは表面の色具合からわかりました。
顔の長さは約40cmほどもあり額から鼻にかけて黒く、目のあたりから顔の下半分にはキラキラとする雲母をまぜた白化粧が施してあります。あごには数カ所穴があけてあり、そこに麻の長いひもがかかっていてそれを髭としているようです。ただその麻ひもはわりと新しく見えるので前の持ち主の方があとからつけた可能性もあるように思われます。
売っていた方の話だとそれを出した人の先代の仮面コレクションのうちのひとつだということでした。この手の仮面によくある変な恐ろしさは感じられず、むしろおおろかな感じにひかれ、意外なほど安価だったこともあって思わず購入してしまいました。いまは、私の部屋のパソコンの横の壁ににアフリカのドゴン族のウサギの仮面と並んでかかっています。
ところでこれはいったいどこのものなのでしょうか。私にはこのあたりのものに関する知識は乏しくわかりません。なんとなくアフリカのものではなく、ニューギニアか、オセアニア周辺のもののように思えるのですがいかがでしょうか。もしおわかりになる方いらしたら、是非教えていただきたいと思います(六田知弘)

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2004.11.17 中国山東省の青州の石仏

2000年の「中国国宝展」につづいて今回の「中国国宝展」にも山東省青州市の龍興寺跡から出土の石仏が数点展示されていました。
一概に青州仏といっても大きく二種類に分けることができると思います。北魏後半から東魏にかけての彫りの深い顔立ちで衣が左右に広がっているタイプと北斉の丸顔で衣が広がらず身体にぴったりとはりついたタイプです。
後者のものは、よく指摘されるようにインドのグプタ様式の影響が強く感じられ、おそらく南から海路で山東半島にかなり直接的にその様式が伝播したのではないかと私も考えます。一方、前者のものですが、これがまた独特の顔立ちをしています。それまで我々が雲岡や龍門の石窟のものに代表される石仏や東魏の金銅仏などから抱いていた中国の南北朝期の仏像のイメージからかなりかけ離れたものです。このギャップがいまでもまだ巷で様々な理由で青州仏捏造説がささやかれている根本的な原因だと思われます。もちろん好き嫌いはあるでしょう。今回出品されている三尊像の脇侍の菩薩立像や前回の単独の菩薩立像はたしかに極めてきれいだけれど私はやはり雲岡や龍門、鞏県などのものにより惹かれるのはたしかです。さて、一応、青州仏が正しいものであるとして、私が以前から北魏から東魏の青州仏を見てつよく感じることがあります。それは日本の飛鳥仏、特に止利派の作といわれる仏像との類似性です。止利派といえば日本最古の仏像といわれる飛鳥大仏や法隆寺金堂の釈迦三尊像を思い浮かべます。いまここに飛鳥大仏と法隆寺の釈迦三尊、そして夢殿の救世観音の目元の部分と青州仏のィなじく目元の部分のみを切り取ってランダムに並べてみました。いわゆる杏仁形(アーモンド形)の目と眉に向かっての線がかなり似ていると思うのですがいかがでしょうか。鞍作止利は、中国南朝の梁の出身の渡来人である多須奈の孫と言われています。今回の「中国国宝展」にもその梁時代の紅砂岩でできた仏像が何点か来ています。そしてその一つ「天王像」は肩布をかけて襟をたてたた服装と直立した姿勢は法隆寺金堂の四天王像と似ています。これを見ると南朝からの影響は少なからずあったのだと思います。しかし、杏仁形の目は見あたりません。わたしの知る限り、この形の目は青州仏以外中国の他の地域のものには見つけることができません。
ましてや朝鮮半島の仏像にも無いように思われます。目はタマシイを象徴します。つまり、我が国での最初期の仏像製作の肝心要の部分において中国の山東半島のこの青州仏の様式がおおきく関連してくるのではないかと思うのです。地図を見れば一目瞭然。山東半島と日本とは思いの外近いのです。素人考えで嗤われるかもしれません。
しかし、こんなことをいろいろ考えるのも私にとって古美術をみるときのひとつの楽しみでもあるのです(六田知弘)

目元その1 目元その2 目元その3 目元その4 目元その5 目元その6

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2004.11.10 光悦の茶碗

光悦の茶碗は、長次郎とは違い、ある意味で非常に作為的です。しかしそれが全く嫌味ではなくかえって極めて魅力的なものになっているのはなぜなのでしょうか。
斑に色づいた柿の葉を見ているとなんとなく納得します。形や艶、色合い、感触・・・光悦もやはり自然界における現象の実存性を鋭く感じ取り、それに向かって自己の造形的感覚を研ぎすましていったのだと思います。(六田知弘)

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2004.11.03 長次郎の茶碗

先日ある方と長次郎の茶碗のことで話が盛り上がりました。
わたしは、家から最寄りの高幡不動駅に出るのに、雨の日以外はほとんどお不動さんの裏山を通ります。秋も深まるとコナラや桜、楓などの葉っぱが裏山の小径を覆います。わたしは、その落ち葉ですべらないように足下を見ながらそろそろと5分ほどの坂道をくだります。そして、お不動産にお賽銭もあげることなくいつも自分のかってなお願い事をしています。長次郎というとなぜかその高幡不動の裏山の落ち葉のことを思い浮かべてしまいます。長次郎の「無一物」に代表される赤楽にしても「大黒」や「俊寛」などの黒楽にしても、落ち葉やしなびた柿の実などの自然のものがもつ実存性を目指したのではないかと裏山の桜の赤や茶色の斑に色づいた枯葉を見てひとり合点したことがありました。今、長次郎の茶碗などもてるはずのない私は、一万円で買った小さな建窯の灰被の茶碗を掌のなかで転がしながら深まり来る秋の夜を楽しんでいます。(六田知弘)

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2004.10.27 興福寺国宝展へ

東京芸大美術館で開催中の「興福寺国宝展」に行ってきました。さすが芸大だけあってライティングが比較的良く、運慶をはじめとする鎌倉期の慶派の最高水準の仏教彫刻をその細部までじっくりと見ることができました。わたしの体調も良かったせいか、私の頭のなかのある種の脳内物質がジリジリと流れ出したようで久しぶりにモノがよく見えた気がしました。奈良県に生まれ、小学生のころから仏像巡りが好きだった私は、興福寺や奈良国立博物館などでこれらの諸像には親しみのあるものでした。
なかでも北円堂の無着像は室生寺の十一面観音や唐招提寺の鑑真像などとともに中学生のころのわたしの仏像ランキングでいつも最上位を占めるものでした。もちろん年に一度しか北円堂は開かないので実際には数度しか見たことはないはずなのですが。
極めて安定感のある圧倒的なヴォリュームとそのお顔とからにじみ出る精神的深み、広大さ、強靱さ、崇高さ、そしてかなしさ・・・。われわれの浅薄な言葉やイメージなどは遠く消え去る「存在」です。 (六田知弘)

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2004.10.20 写真展「ポリ」開催中

私のマネージメントをお願いしている、表参道のインプレオが、先月「インプレオギャラリー」をオープンしました。
その第二弾として、11月13日までわたしの写真展「ポリ」を開催しています。
「ポリ」というのは、イタリアの古い面影を残す丘上の小さ町の名前なのですが、写真集「ポリの肖像」として2000年にまとめましたのですでにご覧になっていただいたことがあるかもしれません。
また、このホームページのギャラリーコーナーでも十数点の写真をご覧いただくことができます。
わたしは、写真集「ポリの肖像」のなかで「今、ここに、この人、このものが存在するという事の不思議さ」と書きました。そしてそれらの写真を撮ってから十数年。時の流れの中でいま、そのときとほとんど変わらぬかたちで存在するものもあるでしょう。そして私の友人であったフラーヴィオのように跡形もなく消え去ったものもあるでしょう。「そのとき、そこに存在する現象の世界を写し取ること」。それが、唯一わたしにできることなのだと至極あたりまえのことを展示作業をしながらあらためて考えておりました。 (六田知弘)

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2004.10.13 クロアゲハの蛹
クロアゲハの幼虫

8月のはじめ、妻が柚子の鉢植えをひとつ買ってきました。
家にアゲハがたびたび来るのを見て昆虫好きの息子を卵を産まそうと柑橘類の植木を母に買ってきてくれるようたのんだようです。
息子の目論見は成功し、間もなく白黒のまるで鳥の糞と見間違えるような小さな幼虫が生まれ、やがて大きな目に見せかけた黒紋のあるりっぱな青虫に育ちました。そして順調に蛹になり、羽化して、大きな黒い蝶が飛び立つのを妻は目撃したそうです。その後もつぎつぎと新しい卵が産み付けられたようで9月、そして10月になっても数匹の青虫が柚子の葉を盛んに食べているのを見ることができました。
先日の台風22号が来る2、3日前、その柚子の木の葉は大きな実をいくつもつけたのですが、さすがに新葉を出すのが青虫の食欲には追いつかず、ついに丸裸になってしまいました。妻はしかたなく柚子の植木をもう一鉢買ってきて、わたしが大小様々な10匹の幼虫を新しい木に手で移してやりました。それから3日、台風が通過した後、その柚子の木にはいくら探しても5匹の幼虫しか見つけることができません。あとの5匹は強風でどこかに吹き飛ばされてしまったのだろうと私は少々悔やみました。そのとき、ふとその柚子の木から2メートル程はなれた山椒の木に目をやると、3令くらいの青虫がさかんに頭をふりながら山椒のこまかい葉っぱを食べているではありませんか。そういえば山椒も柚子とおなじ柑橘類です。近寄って数えてみるとちょうど5匹で、柚子にいるものとおなじ模様がついています。この5匹の青虫たちは山椒の葉っぱのにおいをたよりに何もない地面の上を2メートルも這って移り住んだのでしょうか。それとも柚子にいたものとは別のものだったのでしょうか。それにしてもよくあの台風の風雨に耐えられたものです。 これから日ごとに寒くなります。おそらくこれらの幼虫は今年は蝶にはならず蛹の状態で冬を越すことになるのでしょう。春になって、息子や妻と家の柚子や山椒の木からおおきなクロアゲハが飛び立つ瞬間を見るのがたのしみです。 (六田知弘)

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2004.10.06 東京国立博物館「中国国宝展」

東京国立博物館での「中国国宝展」にいってきました。
ほんとうに粒よりの、そして、いわゆる目垢のあまり着いていない仏教美術と近年の発掘遺品が揃っていて、まだ眼の興奮が醒めやらぬ感じです。非常によかった。
冷静に見るためにもあと数度は足をはこぶつもりです。これほどのレベルのものが揃うのは、これからそう何回もないでしょうから。よく持ってこれた。前3500年ころのものとされる玉龍や極めて美しい円形の白色の石英製腕輪、驚くべき写実性の始皇帝陵出土の銅製の鶴、身近なところに置いておきたい衝動にかられる北魏の楼閣形仏塔や五層の四面塔、図録で見るのとは大違いの麦積山の迫力ある塑像、やっぱり本物だと確信がもてた青州の仏像群、おおらかな温かみのある四川省の南朝期の石仏、私が探している迦陵頻伽の毛彫りがある唐の金や銀の舎利容器…などなど。きりがありません。
図録を見て、たいしたものではないと見に行かないというのは、あとから必ず後悔します。
中国美術に関心あるひとにもない人にも絶対にお勧めです。
個人的なことなのですが、展示を見ているうちに、文字通り骨身を削ってこの「中国国宝展」の企画に3年あまりにわたって携わってこられた朝日新聞社文化事業部の小野公久さんにこころより拍手をおくりたい気持ちでいっぱいになりました。同時に、私も写真の仕事で関わらせていただいている来年、再来年の中国展もこの展覧会に負けないものにしたいという思いが沸々と湧きあがってくるのを感じました。(六田知弘)

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2004.09.29 富山市佐藤記念美術館「東南アジアの古陶磁(9) ミャンマーとその周辺」展

先週、北陸に出張した折り、時間があったので、富山市佐藤記念美術館で開催中の「東南アジアの古陶磁(9) ミャンマーとその周辺」展を見てきました。
まず驚いたのは、その展示品の充実ぶりでした。すべて日本にあるコレクションからということですが、日本にこれだけ質、量ともにハイレベルな東南アジアの古陶磁のコレクションがあるとは知りませんでした。それも今回が東南アジアの古陶磁だけで9回目の展示ということですから驚きです。
日本では東南アジアのやきものは宋胡録(スンコロク)や安南ものとして少しは知られていますが、どちらかというとマイナーなものです。しかし、あのあたたかみと柔らかみは中国や朝鮮にはない独特の魅力です。是非他の地方のひとにもその全貌を見る機会を与えてもらいたいと思いました。(六田知弘)

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2004.09.22 古書「民間の古面」

19日の日曜日、高幡不動の境内で催されるござれ市で「民間の古面」というタイトルの古本を買いました。
それには、1ページに1点ずつ130点余りの古面が載っています。
古い本なので印刷もあまり良くないのですが1点ずつ引きつけられるように見入ってしまい繰り返しページを繰っておりました。そのなかには、わたしも撮影させてもらったことがある奈良柳生の丹生神社の非常に魅力ある数点の面も含まれています。それにしても日本にまだこんなにたくさんの魅惑的な民間の古面が残っているとは知りませんでした。
これらの古面を見ているとわたしの好きなロマネスクの彫刻を見ているときと共通した中世の民衆の匂いがむんむんと感じられます。そしてムズムズと写欲が湧きあがります。(六田知弘)

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2004.09.15 肺魚、プロトプテルス・ドロイ

突然ですが、このところうちで飼っている肺魚の一種プロトプテルス・ドロイがいやに元気です。
いままで大きな水槽にしきりをいれてアルビノクララという白いナマズといっしょに飼っていたのですが、そのクララが、今年の暑さがこたえたのか8月はじめに6年の命を閉じました。
それ以来ドロイが変わりました。それまで呼吸をしに水面にあがってくるところを目撃することはめったになかったし、ましてや餌を食べているところなど一度も見たことがなく、いつも水底にじっとその長いからだを沈めているだけで、生きているのか死んでいるのかわからないようだったあのドロイが、ほんとうによく動くのです。
日中でも水面まであがってきてよく呼吸をするし、夜に餌を与えるとその匂い?をすぐに感知してからだをゆっくりとくねらせ、ひも状の手足のような4本のひれを互い違いに動かしながら上昇してきて浮かんだ餌をとらえようと口で水面を探ります。
あまり目がよくないのかなかなか餌に到達できないのですが、必死?になってさぐります。数分後、やっとのことでえさを飲み込んだときには、見ているわたしも、ちょっと単純ですが、嬉しくなります。
わたしの息子は、こんなにドロイが動くのは、もしかしたら地震の予兆じゃないかと半分本気で言っています。ナマズじゃあるまいしと私は言うのですが、いずれにしてもうちに来て5年にしてこの肺魚ドロイにとっての人生(正しくは魚生)の転機が来たということは言えるのでしょう。(六田知弘)

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2004.09.08 中国調査旅行 北京―甘粛省―寧夏回族自治区

前回に続いて8月の中国調査旅行についてです。
北京で文物の撮影をしたあと甘粛省と寧夏回族自治区をまわりました。まず、北京から飛行機で蘭州に入り、そこから武威、固原、銀川周辺の博物館や遺跡などをマイクロバスで巡る旅です。
中国全体からみると極々限られた移動距離なのですが、バスに乗っている時間が長く感じられたのは、私ももう若くはないということなのでしょうか。写真を撮りたい私としては、走り続けるバスの窓ガラス越しの風景は、現実感のない映画のなかの風景のようで随分はがゆい思いをしました。中国映画のタイトルそのもののような「黄色い大地」はあまりにも荒涼としていて、ときたま通り過ぎる小さな集落を目にすると無責任にもなにもこんなところに住まなくてもとついつい思ってしまいます。私としては、せめて一時間でもバスを降りて集落の中を覗かせてもらいたかった。
武威から固原までおよそ9時間。途中標高4000メートル近い峠を越えるのですが、そのうちのかなりの区間が工事中でした。累々と重なり連なる山々を切り開き新しい道路をつくっているのですが、切り立った崖にへばりつくようにして作業する多くの人々を見ていると、あまりにもスケールの大きな大地のせいか、まったく不遜ではあるのですが、人間のすがたがとても小さく蟻のいとなみに見えてしまいます。
固原近郊まで来ると、平野に広大な緑がひろがります。小さなトラクターに山のように麦わらを積んで運ぶ人、道路まで入り込んでしまう羊の群れをのんびりと追う人、道ばたで山積みにした西瓜を売る人、夫が運転する小型の三輪トラックの荷台に妻をのせて家路を急ぐ幸せそうな回族の若い夫婦。平地に出るといきなり人々の表情が見えてくるのはなぜでしょうか。
平野には川が流れています。その河原をよく見ると、何十、あるいはところによっては何百という小さな土の山が見えます。同行のMIHOミュージアムの稲垣さんとあれはなんだろうとかんがえて、おそらく土葬の土饅頭ではないかということになりました。
それにしてもこのあたりは、西安や洛陽と西域をつなぐ河西回廊にあり、数千年のあいだ無数のひとびとのいとなみがありました。そしてそのなかで、今回の展覧会にも展示される文物もつくられてきました。この分厚い歴史のある大地に生まれ、そして死んでいくひとびとの存在とはなんなのか。中国の文物を見るときにもわれわれのものとは少しちがった尺度が必要なのではと思いました。(六田知弘)

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2004.08.25 カメラマン冥利

17日に中国からもどってきました。
今回は北京で3日間文物を撮影し、そのあと西方の甘粛省と寧夏回族自治区を廻りました。
北京での撮影は、それこそカメラマン冥利に尽きるといえるものでした。
撮影台に一つずつ置かれる文物は、出される度に思わず「おお・・・」と声をもらしてしまうほどのものばかりで、それを好きなように料理させていただくというのは私にとっては至福の時間です。もっとも撮影が終わったあとは、かなりイカレてしまっていたようで、4日目に甘粛省の蘭州の黄河の写真を撮ったのですが、はずかしながら8カット中4カットまでがブレていました。
甘粛省や寧夏回族自治区でのことは、また次回に。(六田知弘)

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2004.08.11 中国出張のためTOPICSは2週お休み

8月17日まで中国出張のためTOPICSは2週お休みです。(六田知弘)

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2004.08.05 北京、甘粛省、寧夏回族自治区へ

8月5日から17日までまた中国に出張です。
今度は、来年から再来年にかけて日本全国4カ所の博物館、美術館を巡回する中国美術展の調査、撮影のために北京、甘粛省、寧夏回族自治区をまわります。
文物の撮影だけではなく、各地の石窟寺院などの遺跡や周辺の町なども調査する予定です。
先日、出品予定の文物のリストを見ましたが、それぞれの時代、ジャンルを代表する最高のものがこれでもかと言わんばかりに盛りだくさんで、古美術ファンのわたしはそのリストだけでちょっとばかり興奮してしまいました。
詳細は控えますが、来年、再来年のこの展覧会は、今秋から東京国立博物館などで開催される「中国国宝展」とともに必見です。それに加え、私の訪れたことのない石窟や遺跡を調査できるのも非常に楽しみです。ということで来週と再来週のこのトピックスの欄は、お休みさせていただきます。また帰国しましたらご報告いたします。(六田知弘)

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2004.07.21 イメージの伝播「空想動物・神々の世界」展

池袋の古代オリエント博物館で開催中の「空想動物・神々の世界」展には西はエジプト、地中海から東は日本まで人々が考え出した空想の生き物たちがたくさん集まりました。
小さいものも多いのですが目を凝らし見てみるとその造形はそれぞれ個性的でいきいきとしているのがわかります。また、西から東へ通して見ていくと、たとえば龍や人面鳥、有翼人など東西で共通したものがあることに気づきます。これは人類共通の自然あるいはそこに潜む未知なるものへの畏れとあこがれが形象化されたものでしょうが、そのイメージの伝播もあるように思えます。
これらの空想のいきもののイメージ群は、美術史や考古学からだけではなく、文化人類学や深層心理学、神話学などからのアプローチにおいてもおもしろい資料となるとのではと思いました。(六田知弘)

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2004.07.14 ヒスイの勾玉

奈良国立博物館の「黄金の国・新羅」展を取材しました。
三国時代の新羅の王陵である「天馬塚」の出土品を中心にしたもので多くの金製の副葬品がその特徴です。中でも高さ32.5cmの金の冠は目を引きます。
これまで新羅の都慶州で出土した金冠は6点で製作時期は5世紀後半から6世紀前半と推定されています。2年前に東京国立博物館での「韓国の名宝」展に出品された「金冠塚」の金冠もそのひとつでたがいによく似ています。
今回あらためて考えさせられたのは、それらの金冠に数十個もついているヒスイの勾玉のことです。
これは、一般にも割といわれていることなのですが、これらのヒスイの勾玉は、日本製のものではないか、あるいは、原石は日本のものではないかという説があります。
たしかに一見、色や形が日本の古墳時代のものと違いがないように思われます。いまのところ、朝鮮半島からはヒスイの原石は発見されておらず、中国にもありません。(中国の清朝以降のヒスイ原石はビルマ産のものです。)朝鮮半島周辺で原石がとれるのは日本の糸魚川流域だけとのことです。日本では、縄文時代からすでにヒスイの大珠や勾玉がつくられ、勾玉は弥生、古墳時代まで各地の遺跡から発掘されます。
新羅の勾玉の日本製説について学芸員のかたに聞いてみましたが、明確な答えは返ってきませんでした。これについて研究されている方が日本あるいは韓国にいるのかとも聞きましたが、たぶんいないだろうとのことでした。
たしか「天馬塚」や「金冠塚」がつくられた5世紀後半から6世紀前半のころは、日本では大和政権が日本をほぼ統一し終え、朝鮮半島の優れた技術や鉄などを求めて朝鮮半島に侵攻し、百済と組んで新羅や高句麗と戦っていたころだったと思います。もちろん、半島や大陸から多くの渡来人によって日本にはかりしれない多大な文化がもたらされました。しかし、わたしにはそれが一方通行だったとは思われません。
ひとの行き来がある以上、有形無形の文化がかの地にも持ち込まれたと考えるのが自然ではないでしょうか。
これから、朝鮮半島ででもヒスイの原石が発見され、日本製説が否定されるかも知れません。日本でも昭和十年代に糸魚川で原石が再発見されるまで、原石は、大陸産のものだと言われてきたのですから。しかし、そうなる可能性があっても、やはり、研究する価値はあるのじゃないかと思います。
古代の文化の交流を研究することも現代における日韓文化交流のひとつの形といえるのではないでしょうか。(六田知弘)

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2004.07.07 「空想動物・神々の世界展」開催中
「空想動物展」チラシ画像

以前にもこのトピックスでもお知らせしましたが、東京池袋のサンシャインシティにある古代オリエント博物館で7月17日から9月5日まで「空想動物・神々の世界展」が開催されます。(期間中無休)
これには、展示品の調査や、写真撮影で私も参加させてもらいました。夏休みの子供たちにも来てもらえるようにゲーム感覚の展示にしてありますが、出品物自体は、美術的にも資料的にも意味のあるものが揃っていると思います。
夏休みには是非ご家族連れで、もちろんお一人ででもご来場ください。
古代から人々の心の中に棲み続ける異次元の生き物たちとの出会いもあくせくと現代社会に生きる私たちには必要なのかも知れません。(六田知弘)

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2004.06.30 沖縄独特の亀甲墓

仕事で沖縄に行って来ました。
沖縄に行くのは4度目ですが、いつも印象に残るのが沖縄独特の亀甲(かめこう)墓です。大きいものだとひとつの家ぐらいありそうな亀の甲羅のようなかたちをしたお墓です。そのかたちは、女性の下半身を表しているとも子宮を表しているともいわれます。
この世を離れたタマシイは大地の母の胎内にもどるのでしょう。その空間に家の代々のタマシイが集います。さぞかしにぎやかなトポスに違いありません。
沖縄の地方紙をめくっていると毎日訃報の欄がまるまる1ページ設けられています。それを見て驚くのは、一人の訃報について喪主だけではなく、その配偶者、子供、孫まですべての親族が多いもので20人ほどが名を連ねて告知をしていることです。沖縄の血縁の結びつきの強さが感じられます。
復帰から30年余り、沖縄は急速に日本化されてきたことでしょう。そしてその勢いは増すばかりでしょう。そのなかで沖縄独特の世界観はこれからどういうかたちで残っていくのか見ていきたいところです。(六田知弘)

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2004.06.23 胡同(フートン)健在

胡同(フートン)に行ってきました。よかった。まだありました。
胡同のエッジにあたる大きな道路に面した建物が、ツルハシを使った人力で解体されているのをところどころで見かけました。また、部分によっては観光用にこぎれいに整備されて以前の面影がほとんどないところもありました。しかし、胡同めぐりの観光力車のはいらない庶民の暮らす胡同そのものは、一見、1~2年前とその範囲はそれほど変わっていないように見えました。少しほっとしました。
国家政策により取り壊すべき胡同はすでになくなり、残っているものは保存するということなのでしょうか。
しかし、今回、撮影をしていて1,2年前とそう変わらないはずなのになぜかその建物の老朽化が気になりました。壊れた屋根にはありあわせの板やシートがかぶせられ、隅には埃をかぶった錆びた自転車が何台も重ねられている。場所によってはちょっとスラム化しているように見えるところさえありました。いずれ近い将来取り壊されるのだからと今住んでいるところをきちんと修理や整備をする気が住民たちのなかに薄らいできているんじゃないかとちょっと心配になりました。もちろん住む側にとっては、こんなボロ家に住むより真新しいアパートやマンションに住みたいと思うのは自然かとも思うのですが・・・。やはり胡同がすべてなくなるのも時間の問題かも知れません。
そういえば、鼓楼の北のほうに古い胡同と隣接して真新しい大規模な集合住宅の団地があるのですが、その団地の名前が○○団地ではなくて○○胡同だったのが印象的でした。(六田知弘)

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2004.06.16 北京の胡同(フートン)へ出発

6月14日から18日まで北京に胡同(フートン)の写真を撮りに行きます。
胡同は再開発のためにまたたく間に取り壊され、残っているのもあと僅かです。残っていたとしてもどれだけ自然なかたちで残っているのか心配です。
去年の夏に行ったときには、ずいぶん観光用に整備され、塀などが灰色の塗料に塗られているのが目立ちました。次回のトピックスで北京の胡同の現状を報告します。(六田知弘)

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2004.06.09 レンブラントのまなざし

梅雨入り宣言のあった昨日はレンブラントの版画集をとりだしてながめていました。
ものが見えるということはどういうことかあらためて考えました。自分自身をも含めた現象世界のものの「存在」それ自体を根本から見通すような澄明な視力。レンブラントはどのようにしてこんな視力を獲得することになったのか。
写真をする私にとっては、ただただ羨望のため息ばかりです。(六田知弘)

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2004.06.02 北京の胡同

これまでに撮った北京の胡同(フートン)の写真をまとめたいと思っています。
フートンは最近わりと日本人にも知られるようになりましたが、北京の横丁あるいは小路のようなもので、庶民の生活の場です。元代に成立しはじめ、最も多いときには二千あるいは四千もあったといわれる胡同ですが、このところの中国の近代化政策により激しい勢いで取り壊され、跡地には近代的なビル群が立ち並ぶようになりました。いまはもう鼓楼の周辺などを中心に数十しか残っていないでしょう。
17年ほど前、バスの車窓から見えた暗い街灯に浮かぶ夜の北京の街角の光景がいまもまぶたに残っています。といってもなにか特別なものを見たのではありません。ただ思いっきり懐かしさを感じただけです。わたしの遠い遠い記憶の原風景ともいうようなものとどこか重なるものをそこに見たのでしょう。 その後何度か仕事で北京を訪れる機会があり、そうした胡同も撮影してきました。実際に胡同にはいって撮影してみると、やはり自分の記憶と重なる懐かしさもそこらじゅうで感じるのですが、それとともに日本とは違う中国の人たちの底知れぬしたたかなエネルギーをじわじわと感じるようになってきました。和食にはない中華料理のコッテリさともいうようなものでしょうか。
私が撮影したそんな胡同もその半分はすでにいまはビル街と化しました。
できれば近いうちに北京に行って今の胡同を撮ってみたいと思います。(六田知弘)

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2004.05.26 「唐三彩展 洛陽の夢」展始まる
サントリー美術館の一階ホール

5月25日から7月11日まで東京赤坂見附のサントリー美術館で「洛陽の夢 唐三彩展」が開催されています。河南省で発掘された中国の一級文物を多数含む出土地の確かなものばかりで、資料的価値は非常に高いと言えるでしょう。
そのなかで私個人としてもっとも好きなもののひとつに、三彩ではありませんが、初唐の哀皇后の墓から出土した緑かかった藍釉の長頸瓶(図録No.9)があります。響銅製の水瓶を写したものなのでしょうが、頸と胴の比率といい、胴の張り具合といい、なんと落ち着いたすがたでしょう。それに釉色も深くてそれでいて明るい。高台の土の白さも特別です。さすがに皇后のために副葬されたものだと感心し、ついつい見入ってしまいました。
以前にも書きましたようにこの展覧会のポスターや図録の表紙の写真はわたしが、昨年8月に河南省にて撮影したものです。
サントリー美術館のあと、山口県立萩美術館・浦上記念館、東北歴史博物館、愛知陶磁資料館、島根県立美術館と来年の2月27日まで巡回します。是非ご覧になってください。(六田知弘)

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2004.05.19 南宋絵画展

先日、根津美術館に南宋絵画展を見に行きました。
さすがに日本にある南宋絵画の名品が揃うとあってかなりの人出でした。西洋や中国からの人も多く見かけられました。
北宋の絵画は中国ではもっとも評価され、台北の故宮などに名品が数多く残っていますが、南宋のものは中国にはそれほど多くはなく、その多くが日本に渡ってきたということです。その南宋絵画は、室町以降の日本文化に極めて大きな影響を与えたのは周知のとおりです。
牧谿、馬遠、梁楷、夏珪、玉澗・・・なぜ日本人は北宋のものではなく、南宋絵画にこれほどまで影響をうけ、またそれを好んだのでしょう?
もちろん北宋のものを手に入れたくてもそれは非常に困難だったということはあるのでしょうが、私にはそれより日本人が北宋のものより南宋絵画がもつ独特のもののとらえかたによりひかれたからだと思います。
それは禅的精神とつながるのかも知れませんが、実なるもののなかに虚なるものを見、虚なるのもののなかに確固たるリアリティをみる。これはすごいことだと思います。(六田知弘)

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2004.05.12 「日本美、クローズアップ」9月号にて終了

おかげさまでとてもご好評いただいております小学館「和楽」誌での連載、「日本美、クローズアップ」も9月号までで終了です。
あと残り3回、「室生寺の十一面観音と釈迦如来座像」「大乗寺の応挙筆襖絵」「出雲大社の秋野鹿蒔絵手箱」計24回の連載となりました。編集部の方にはちょっとわがままを言い過ぎたかとも思うののですが、私の撮りたいものを、撮りたいように撮らしていただきほんとうに感謝しております。古美術に向き合うことがなによりも好きな私にとって至福の時間を得ることができました。
この連載では和楽の担当編集者の渡辺さんと私との共通の知り合いであった利谷有里さんにコーディネイトをお願いしました。利谷さんは「花徑」という古美術店をされていてたいへんご多忙なのにこころよく引き受けてくださり、取材に関して非常なお骨折りをいただいたこと、感謝の言葉もありません。
「日本美、クローズアップ」に関しては古美術「花徑」のホームページのインフォメイションのところで撮影のときのあれこれを利谷さんの感性がきらめく文章で紹介していただいております。是非ご覧いただければと思います。
これからも国の内外を問わず、「時のながれのわすれもの」に向き合うことができれば最高です。(六田知弘)

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2004.04.28 「北響堂山 菩薩頭」、国華に掲載
「北響堂山 菩薩頭」掲載写真 「国華」表紙

明治22年創刊の歴史ある美術研究誌「国華」第千三百二號に私が撮影した「北響堂山 菩薩頭」が掲載されました。
いまから考えるとこの中国河北省の北響堂山石窟の菩薩頭と出会いが私の仕事にとってとても意味のあるものとなりました。あの石仏が取り持ってくれた縁とその繋がりでどれだけ多くの方々とお知り合いになることができ、新たな仕事の展開にも結びついたことか。
千四百数十年前に刻まれた菩薩の深い微笑みにただただ感謝いたします。(六田知弘)

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2004.04.21 「唐三彩展 洛陽の夢」展、ポスター・図録撮影
「唐三彩展 洛陽の夢」展カタログ

4月10日から長岡の新潟県立歴史博物館で「唐三彩展 洛陽の夢」がはじまりました。
この展覧会は河南省各地で発掘され、すべて出土地の特定できる文物のみで構成されています。そのなかには中国の国宝や一級文物に指定されている名品も多数含まれています。また、日本初公開の深い藍緑色の釉薬がたっぷりとかけられた非常に魅力的な壺類数点もあります。その他陶片も出展されており非常に資料としても充実したものとなっています。
私は昨年の8月に洛陽博物館や河南省博物院でそのポスターや図録の表紙用の写真撮影をおこないました。図録の中の写真は河南省博物院の閻さんと牛さんのお二人が撮影されましたが、非常に友好的に接していただき日中共同製作でいい図録ができたと思っています。
長岡での展覧会は5月16日までですが、そのあと以下の順に全国を巡回します。

東京:サントリー美術館 5月25日から7月11日まで
山口:山口県立萩美術館・浦上記念館 7月24日から9月5日まで
宮城:東北歴史博物館  9月18日から11月7日まで
愛知:愛知県陶磁資料館  11月16日から12月23日まで
島根:島根県立美術館  2005年1月2日から2月27日まで

是非ご覧になってください。(六田知弘)

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2004.04.14 「祈りの空間、祈りのかたち」展、最終日です

インプレオでの写真展「祈りの空間、祈りのかたち」も4月14日で終了です。
多くの方々においでいただき、一枚一枚、ほんとうに丁寧にご覧いただけたことたいへん嬉しく思っております。
それにしてもこうして20歳代のものから去年のものまで並べてみると、随分いろんなところへ行き、好きなものを撮ってきたものだとあらためて思います。私事で恐縮ですが、それを許してくれた家族に感謝します。(六田知弘)

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2004.04.06 本日6日、11日を除いて終日在廊

4月14日まで写真展「祈りの空間、祈りのかたち」を表参道のインプレオで開催中です。
4月2日のオープニングパーティには会場に入りきれないほどたくさんの方々にお集まりいただきほんとうに光栄です。パーティに来ていただいた方々には、テーブルを使えなかったために、壁面に展示した写真だけしかご覧いただけなかったかも知れませんが、他にもファイルにした写真が数十枚、ご覧いただけるよう用意しております。お時間がありましたら、是非再度ご来場いただきゆっくり写真を手にとってみていただけたらと思います。
わたしは、6日は午後4時まで撮影のため会場には行けませんが、今のところその他の日は、14日まで11日(日曜日休廊日)を除いて毎日いる予定です。多くに方々のご来場をお待ちいたしております。(六田知弘)

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2004.03.31 個展開催します(4月1日から14日まで)

いよいよ4月1日からWebギャラリー開設記念の写真展「祈りの空間 祈りのかたち」を青山のインプレオで開催します。
写真を仕事としてはじめた1982年から昨年2003年の撮影のものまで、フレームにいれて壁面に展示するのは26点ですが、テーブルの上で直に手にとってご覧いただくプリントも数十枚用意いたしました。
私は会期中は基本的には在廊するつもりでおります。
多くの方々のご来場、お待ちしております。(六田知弘)

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2004.03.30 Webギャラリー開設記念写真展開催
個展DM

六田知弘写真展―祈りの空間、祈りのかたち
会期:2004年4月1日(木)から4月14日(水)
会場:インプレオ(南青山)
開廊時間:11時から18時(日曜日休廊)
お問い合わせ:03-3797-5502/info@muda-photo.com

作家在廊日:全日在廊(一部不在時間帯あり。お問い合わせください。)
パーティ開催:4月2日(金)作家を囲んでのパーティを行います。18時から20時です。気軽にお立ち寄りください。

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2004.03.24 ポートレート撮影:朝日新聞「自作再訪」

久しぶりに人物写真を撮ることになりました。
朝日新聞の日曜日の読書面で4月4日から新たに始まる「自作再訪」というコーナーで、作家をはじめ、さまざまな分野の著者たちが自身のかつての著書について書かれたものに添えるポートレイトです。
馬場磨貴(うまばまき)さんという女性のかたと私とが交代で写真を担当します。
4月4日の第一回は、作家の高樹のぶ子さんで私が撮ります。
テクニックだけではなく、いかに被写体となるかたと向き合うことができるか。それが問われる仕事だと思います。(六田知弘)

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2004.03.17 想像上のいきものの造形、探しています

今年の夏に東京池袋のサンシャインシティにある古代オリエント博物館で「キメラ―合成獣の世界」展(仮題)が開催されます。
以前から私が迦陵頻伽などの人頭鳥身の想像上のいきものに興味を持ち、いろいろと資料を集めていたこともあって、オリエント博物館の宮下佐江子さんより協力をもとめられ、東京文化財研究所の勝木言一郎さんと共に巷にあるそうした想像上のいきものの造形をもとめて、調査にまわっています。
勝木さんと私は、主に東アジアのモノを中心に探しましたが、けっこうおもしろいものがたくさん集まりました。
西洋の中世の怪物や西アジアのものも非常に興味深いモノが多いですが、東アジア、東南アジアのものも負けてはいません。迦陵頻伽やキンナラ、竜や天馬、ガルーダ、マカラ、海駝に羽人など、そんな奇妙ないきものたちを追っかけていると、なんだかどこかに、ほんとうにかれらが棲んでいる場所があるんじゃないかと思ってしまいます。
考えてみると私は、以前からそんな場所に知らないうちに惹かれて写真を撮ってきたのかも知れません。ヒマラヤの山中の村に暮らし、中世の匂いがのこるイタリアの山上都市ポリを撮り、怪物たちの彫刻のあるロマネスクの修道院を巡り歩いてきたのですから。
因みに、このホームページの地にシルエットとして使った文様は、新羅時代の迦陵頻伽(かりょうびんが)文の瓦からとったものです。どこかでこのような造形を見かけられましたら是非おしらせください。(六田知弘)

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2004.03.10 「青磁を楽しむ」展のオープニングと記念シンポジウム

6日と7日にかけて、愛知県陶磁資料館での「青磁を楽しむ」展のオープニングと記念シンポジウム「中国陶磁研究の今」に行って来ました。
展示品は、搬入の時に見たのですが、やはり展示ケースにきっちり整理されて見せられると、なおいっそう見栄えがしました。それにしても個人の蒐集品だけで、よく、青磁の歴史を一望でき、なおかつ質の高い展示ができたものだと感心しました。
シンポジウムでは中国から来られたお二人を含む九人の若手の中国陶磁の研究者のかたがたの研究発表がありました。私のようなたんなる中国美術愛好者に理解できることは限られていますが、南宋越窯の話や竜泉窯の青磁釉の多重かけのはなしなど興味深い発表がありました。ただ、ちょっと文献研究に基づく研究が、多すぎるのが気になりました。モノそのものに興味がある私からすると、実際のものに向き合うことから生じる疑問や発想に基づく研究をもっと多くの研究者にしていただきたいと感じました。
会場では、曜変天目の復元に取り組んでおられる長江惣吉さんに再会し、実際に制作された茶碗を見せていただきながらお話をおうかがうことができました。完全な復元にはまだまだだと長江さんはおっしゃっていましたが、あれを耀変天目と言わないでなんと言えるでしょうか。現地の土を使い、発色剤など現代の薬品などを一切使わず、あくまで当時と同じ材料と条件に則して真の意味での「復元」にこだわる長江さんの姿に感銘をうけました。
いい友人にめぐり会うことができました。(六田知弘)

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2004.03.03 ポスター撮影:愛知県陶磁資料館「青磁を楽しむ」展
「青磁を楽しむ」展ポスター

3月6日(土)から21日(日)まで、愛知県瀬戸市にある愛知県陶磁資料館1階ギャラリーで「青磁を楽しむ」展が開催されます。
これは、愛陶会という陶磁器愛好家の集いが、中国陶磁研究のホープである資料館研究員の森達也氏の監修のもとに持ち寄ったもので、原始青磁から明代のものまで時代を追って中国青磁の流れを一望することができます。
小振りのものですが私の愛蔵する砧青磁の管耳瓶なども出品されています。
お近くにおいでのときにはお立ち寄りください。
なお、展覧会のポスターの写真は、私が撮影しました。(六田知弘)


愛知県陶磁資料館
電話:0561-84-7474)
9時30分~4時30分(月曜休館)
入場無料

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2004.02.24 サイトオープンを記念して個展を開催します。

www.muda-photo.comのサイトオープンを記念して、個展を4月に開催いたします。
当サイトで公開されている写真のデジタルプリントやそのほか六田が撮影した写真作品を展示予定です。
4月1日から14日まで、インプレオ表参道オフィスにて開催予定です。詳細は適宜このページに更新いたします。

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2004.02.05 六田知弘ギャラリーWebサイト「www.muda-photo.com」オープン。

写真家、六田知弘のオフィシャルサイトです。
ギャラリーページでは、文化財や古美術品、歴史的建造物や彫刻などを中心とした、可能な限り自然光での撮影を試みた六田による写真作品を公開いたします。

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