六田知弘

MUDA TOMOHIRO >> Topics 2021

トピックス

写真家・六田知弘の近況 2021

展覧会や出版物、イベントの告知や六田知弘の近況報告を随時掲載していきます(毎週金曜日更新)。

過去のアーカイブ

2022.05.20 箸墓古墳
箸墓古墳

暖かな日差しの下、考古ファンの友人と大和の古墳巡りをして一日を過ごしました。
石光山古墳群、新沢千塚古墳群の後、橿原考古学研究所附属博物館に立ち寄って、三輪山(大神神社)に参ってから、すぐ近くの箸墓古墳に久しぶりに行きました。
箸墓古墳は邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかともいわれる大きな前方後円墳です。おそらくかつては古墳の周りを囲む環濠の一部であったと思われる池越しに見える箸墓は、柔らかな空とそれが映った水面に挟まれて、1700年以上も続く静かな呼吸をしているように思えました。
その後、黒塚古墳やメスリ山古墳などを廻ったのですが、大和には至るところに古墳があって、そんな土地に生まれた自分が今、この時代に生きていることがとても不思議なことのように、あらためて感じてしまいました。
古墳が造られた時代も今の時代も、種類は違っても争いや疫病や天変地異など様々な禍いが人間を取り巻いていたのは確かでしょう。そんな中でさて我々は、そして私は、どう生きていくのか。どう死んでいくのか。朝早く起きたせいか、ほとんど寝むっているようなぼんやりとした頭で今さら考えても意味ような事を思いながら千数百年前にこの世に存在した人達のお墓の周りを巡り歩きました。(六田知弘)

 

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2022.05.13 要石
要石

宮城県丸森町の山で三日間、石の写真を撮っていました。「大蔵山スタジオ」という採石会社の持つ山で、一般には公開されてはいないのですが、知人を通じて許可を得て撮らせていただいています。
この山を訪れるのは今回が3度目です。最初の時から、そこにある種の磁場のようなものをそこはかとなく感じながら、奇妙な文様が浮き出た露頭や、山から掘り出されて地面に転がされたり山積みにされたおそらく鉄分によるらしき赤茶の皮を被った丸い石や、割れて鋭利な形状を呈する大石や、イギリスやフランス ブルターニュ地方のメンヒルやストーンサークルを思わせる巨大な立石にむかって(いつものように)何も考えずにひたすらシャッター押し続けました。3日間で撮ったのは4,438カット。
そんな無数の石の中で、いつも強い磁力のようなもので私を引きつける1つの大きな石があります。それが山全体のほぼ真ん中に位置するところと思われる三叉路にあるこの写真の石です。高さ幅とも2mくらいでしょうか。表面が鉄錆色の皮に覆われた丸い石です。これを最初見たときには隕鉄だ。と思いました。それというのも、私がいつも持ち歩いている小さな隕鉄(鉄性隕石)と色も質感もそっくりだったものですから。
この石の前に来ると、私はいつも挨拶のように、その姿を写真に撮ってから、手に触れて温度と肌触りと匂いを確かめます。この石は、もともとここにあったものなのか、あるいは人為的に置かれたものかはわかりませんが、私には山全体が持つトポス(場)なるものの中心となっている特別な存在のように感じます。これがいわゆる「要石」的なものなのでしょうか。(そういえば、この石のすぐ裏には採石をする前からあったであろう山神さまと昭和の時代の新しいものとが並んで祀られています。)
この山は、なんとも奥深く、そう簡単には全てを開いてくれるようには思いませんが、許されるかぎり撮り続けたい ゲニウス・ロキであるように思っています。(六田知弘)

 

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2022.05.06 青葉
青葉

近くの高幡不動尊の裏山は、「若葉萌える」季節が過ぎて、今は「青葉燃える」とでも言ったらいいのでしょうか、緑色の火に焼かれているようにも思えるほどの熱気?を孕んだ輝きを放っています。
その中を風にそよぐ葉っぱの音を聞きながら歩いていると、ジタバタと焦る事はない。ただ大いなるものに身を任せればいい。そういう声がどこからともなく聞こえてきたのははなぜでしょう?
そういえば、先月、年に一度のご開帳があった河内長野の観心寺の如意輪観音を撮影した直後にも同じような声が聞こえてきたようにも思えたのですけれど、、、。(六田知弘)

 

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2022.04.22 蟻地獄
蟻地獄

私の故郷 奈良県御所(ごせ)の玉手山に登りました。玉手山は山というより丘といった方がいいようなところですが、近くには「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 倭しうるわし」と詠んだとされるヤマトタケルノミコトの(大和)白鳥陵があります。そしてこの玉手山自体にも第6代天皇 孝安天皇の御陵があります。いずれも実在したのかどうかは不明の神話の世界の人物です。
私は物心がつくかつかない頃からこの山によく登ったようで、幼稚園の遠足でお弁当を食べていて、手に持ったおにぎりを落としてしまい、「おむすびころりん」よろしく、コロコロと坂を転げていった光景が一番古い、微かな記憶として残っています。
また小学校の低学年の頃に友達とかくれんぼをしていて、みんな隠れて、しんとした山の中で一人いるとなんとなく心細くなってきたその時に、山のどこかから「ピーーー」というかん高い指笛のような音が聞こえてきて、怖さが頂点に達して、木や岩影に隠れていたみんなが、坂を転げるように走り下りたことも遠い記憶にあります。
そんな玉手山には三つの小さな祠や神社があります。一番上の神社には社殿の前に小さいながらも楼門があり、その内側に数枚の大きな絵馬が架けられています。床面は砂地になっていて、そこには昔から変わらず、すり鉢状の奇妙な凹みと曲がりくねった線が何本も描かれています。蟻地獄です。
私はここに来る度にその蟻地獄の文様を写真に撮るのですが、考えてみると、それを私が初めて見たであろう時から、もう60年もの時間が経ったという事です。その間に蟻地獄を作るウスバカゲロウも何十代も世代交代を繰り返しながら今まであの模様を描き続けてきたという事になります。
そう考えるとなんだか此岸と彼岸というか現世と異界との境界というようなものはそんなに明瞭なものではないのではと思えてくるのですが、、、。(六田知弘)

 

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2022.04.15 吉野の水分神社
吉野の水分神社

半年ぶりの吉野水分(みくまり)神社。いつものように、ご挨拶がわりに拝殿の柱を撮ったあと、振り向いて向かいの本殿の方を見ると枝垂れ桜の老木がこれ以上ないような清正さで咲き誇り、四つの建物に囲まれた長方形の境内に温かくて柔らかい気を放っていました。
その気に満たされた空間は、あたかも透明なカプセルに覆われたような異空間で、そこに佇んでいると母胎回帰して、羊水に浮かんでいるような不思議な安心感を覚えるのはなぜでしょう。(六田知弘)

 

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2022.04.08 椿と桜
椿と桜

ここ2〜3日ようやく春らしいお天気になりました。
いつものように駅に行くために高幡不動の裏山を歩いていると、前日までの雨に打たれてか、湿って黒い地面に椿の花がたくさんかたまって落ちていました。そしてその周りに、白い山桜の花びらが、まぶすように散っていて、木漏れ日を受けて揺らいでいました。
宇宙の一隅を覗いているようにも思えます。(六田知弘)

 

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2022.04.01 奈良まほろば館での展示
奈良まほろば館での展示

今日の東京は朝から強風が吹き、4月とは思えない寒さですが、まだしばらくは三寒四温の日が続くのでしょうか。体調管理をしっかりとしなければ。

ここでご案内ですが、4月1日から一ヶ月間、東京新橋にある奈良県のアンテナショップ「奈良まほろば館」の一角で「運慶のまなざし」という写真展示をします。
展示の写真は興福寺北円堂の無著、世親菩薩像と南円堂の四天王など運慶作のものと運慶の三男 康弁作の龍燈鬼、天燈鬼の合計9点です。
これらの写真は既にご覧いただいている方も多いと思いますが、環境が変われば感じ方も違うもの。お近くにいらっしゃる事があれば是非お立ち寄り下さい。カフェコーナーに隣接しているので美味しいコーヒーなどを飲みながら楽しんでいただけると思います。
奈良まほろば館は、昨年日本橋から移転してリニューアルオープンしたばかりで、銀座通りの一番端っこにあります。新橋駅からは歩いて2〜3分のところです。(六田知弘)

 

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2022.03.25 朝鮮陶磁の肌触り
朝鮮陶磁の肌触り

大阪東洋陶磁美術館での撮影も終盤を迎えました。今回は主に朝鮮時代のやきものの撮影ですが、その魅力を堪能しながら撮っています。
んだ形や子供が描いたような絵や模様など様式にこだわらない自由奔放な造形がめちゃめちゃおもしろい。
そして思わず手で触れて、撫でてみたい、頬擦りしたい、ものによっては舐めてみたい、というような衝動を覚えてしまうこともしばしば。自分のものではないのでその衝動は抑え込まなくてはならないのですが、せめてカメラを通した目でその肌を撫でまわしていたい。
そんな不埒な思いを抱きつつ、一点一点愉しみながら撮らせてもらっています。(六田知弘)

 

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2022.03.18 大阪にて
大阪にて

2週間ほど前から仕事で大阪に来ています。
いつも大阪東洋陶磁美術館の最寄りの淀屋橋駅の上にあるカフェでコーヒーを飲んでから美術館にむかいます。
今日は久しぶりの雨模様。ビルの間から見える空もグレーで、今撮っている朝鮮陶磁の背景紙の色と同じだなぁとぼーっと眺めています。
この中之島にも新しい美術館がオープンし、東洋陶磁美術館や天王寺の市立美術館も改装工事に入っていて3年後の万博を見据えて着々と動いているのがわかります。
コロナ禍やウクライナ情勢や東北での地震など、なかなか気分が晴れず、すくみがちな日々が続きますが、いつかそのうち光が差してくると信じて、そろそろ前を向いて歩き出す時なのかなと、傘をさしてでも動いている大阪の人々とバスや車の流れを眺めながら思っています。(六田知弘)

 

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2022.03.11 ホームの柱
ホームの柱

JR四谷駅のホームで並んで待っていたら、ホームの屋根を支える柱に面白い模様を見つけました。その時、丁度電車が入ってきたので列を壊さないように前に進みながらスマホを持った左腕を伸ばしてパチリ。以外と面白い写真が撮れたと自分では思っていますが、いかがでしょう。
今度はあらためて一眼レフでしっかり撮ろうと思いますが、さてその時はどんな表情を見せてくれるのでしょうか。
(なんかこれと同じような事を前にも書いたように思えます。デジカメ時代になって写真は気軽に簡単に撮れるので、こんな事をいつもやってます。)(六田知弘)

 

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2022.03.04 クレーとピカソ マチエール
クレーとピカソ マチエール

先週のモネに続いてアーティゾン美術館に展示されている作品についてですが、2点並んだクレーとピカソの絵を見ながらそのマチエールによる作者の個性の表出の豊かさにあらためて驚かされました。
クレーの作品は、「島」というタイトルで、ピカソのものはキュビズム時代の「カップとスプーン」です。
写真はその部分を撮った(アーティゾン美術館はありがたいことに写真撮影可です。)ものです。
普通の画集ではこのマチエールは再現できない。なぜなら、画集のためや資料としての写真を撮る時には「色と形」を出来る限り実物に忠実にする事が要求されます。そのためにライトを画面全体にフラットに当てて、マチエールつまり凸凹感や陰影などの肌触り感をなくしてしまう、というか、それを排除するように撮るからです。
しかし、実際の絵そのものから受ける印象は、色や形だけではなく、絵の具の厚みや質感、キャンバスや紙などの支持体の材質などによってその印象はどれだけ違ってくるものか。触覚的要素の重大性を2枚の絵の前であらためて思いました。
これは絵など平面作品だけではなく、仏像や美術品全体に関してももちろん言える事。それを美術に関わる専門家の人たちで理解している人があまりにも少ない。少なすぎる。みんな色や形つまり意識化しやすい視覚的要素だけで美術品を見過ぎていて、言葉にしにくい意識下のものと繋がる肌触りのようなものをあまりにも軽視しすぎている。それこそが作品が放つ精神性と密接に繋がっているものなのに、、、。
クレーとピカソの絵の前で、ある種の憤りのようなものをも覚えながら、スマホでその絵を撮りました。
触覚的な要素を必要としないデジタルの時代でそんな事をいっていたら生き残ることは難しいのかもしれませんが。
でも、大げさかもしれませんが人類が地球上に生き残るためには、この触覚という部分を無視することはできないのでは、とさえ本気で考える、デジタル音痴の今日この頃です。(苦笑)(六田知弘)

 

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2022.02.25 霜柱
霜柱

近所の広場の端っこで霜柱を見つけました。先に見つけた誰かが足でサッと霜柱を倒したのでしょう。それがかえって綺麗に見えて思わずスマホと一眼レフで撮りました。
日陰なので青白く見えますが、これを緑や黄色に変えてみたら印象派の筆のタッチみたいだと思って家に帰ってモネやセザンヌやゴッホの画集を見てみたらまさにそう。
こういう筆のタッチのようなのは水面を写真に撮った時にも時々あります。その感じは普通は目には捉えられないのですが、写真に撮ると写ってくる。
カンボジアの水溜まりを撮ったときにはそれが凄かった。写真じゃなくてこれは絵だ、と撮ったすぐにカメラの液晶の画面を見て驚きました。近い将来その写真をまとめて、みなさんにご覧いただく機会ができればと思っています。
それはある種の光のスペクトルなのかもしれません。画家たちはそれを直感的に捉えて自らの絵に半分無意識のうちに表現していったのだとも言えるのではないでしょうか。バーチャルリアリティとはまた違う、見えていないのに見えている、もう一つのリアリティがそこにある。昨日は、それを確かめるべくアーティゾン美術館のモネの「ヴェニスの黄昏」や「睡蓮」の前に立ってしばし忘我の時を過ごしました。(六田知弘)

 

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2022.02.18 サザンカ
サザンカ

母に面会に行きました。面会中はほとんど目をつむった状態で、私が来ているのがわかっているのかいないのか、心もとないのですが、顔色もよく、まあ落ち着いているようなので、これでいいとするしかないかと思いながら15分間の面会を終えて、施設の玄関を出たら、庭に冬の光を受けたサザンカ(花びらが一枚ずつ散っていたので椿ではないと思うのですが、、、。)の花が目に入りました。白い人体を思わせる幹を背景にした赤い花はなにか少し艶かしさのようなものを感じます。

艶かしさというと、友人の彫刻家橋本雅也さんに先日見せてもらった最近作 鹿の角で椿を彫った作品にも濃厚なエロスのようなものを感じました。

4月9日からその椿も含めた鹿の角や骨を素材とした作品展が東京白金のロンドンギャラリーで開催されるとのこと。新たなステージに入ったのかもしれない彼の作品群を見せてもらうのを楽しみにしています。(六田知弘)

 

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2022.02.10 ポンペイの壁
ポンペイの壁

東京国立博物館で開催されている「ポンペイ」展に行ってきました。
とても充実した内容で大満足です。それに私にとってなによりも有り難いのは展示されている作品は全て撮影可となっていた事です。それと知らず、いつも持っている一眼レフカメラをロッカーに入れて会場内には持って入らなかったので今回はスマホで撮るしかなかったのですが、またあらためて訪れて、しっかりした一眼レフカメラで撮るつもりです。
展示作品の中で特に印象的だったのは、「壁」です。何やら広告文句らしき文字が書かれたポンペイの壁をそのまま剥ぎとって展示してあるのですが、それがなんとも強い存在感をもって迫ってきてとても新鮮でした。
私は20数年来、イタリアを中心に世界各地で「壁」を撮ってきましたが、私のやりたかったのはまさにこれ。剥ぎ取る事はさすがにできないので、その代わりとして、壁そのものに見える壁の写真を展示してきました。壁の写真展だけで日本とパリとであわせて7回やりました。写真展に来てくださった方から、壁そのものを剥ぎ取って額に入れているのじゃないかとよく言われますし、本当に作品の表面が凸凹してなくて全くの平面なのかどうか確かめたくて、斜め側面から写真を覗き込んだり無意識のうちに手でその表面を触ってしまいそうになる人も相当数いらっしゃいます。
私がなぜ壁に惹かれるのか?そう問われると、壁にはそれが造られた時から写真を撮るその時までの「時間」が堆積しているから、と今までは答えていたのですが、今は、壁からは言葉にはできない存在のリアルともいうようなものを触覚的に感じるからということも加えようと、ポンペイの切り取られた壁を見ながらぼんやりと考えました。
来年は、また私の壁の作品を新しい視点で捉え直して、写真展などでご覧いただこうと考えています。乞うご期待を。(六田知弘)

 

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2022.02.04 スイカをがぶり🍉
スイカをがぶり

大きな口を開いてスイカをガブリと頬張ろうとする子。この絵を一目見て、まいりました。
前回取り上げた、「おむすびころりん」を描いた女の子の弟が幼稚園の頃に描いたんだそうです。
奈良県の葛城山麓の道沿いの仏花店の店内にいっぱい貼ってある絵の一つなのですが、自由でなんのこだわりもない。
はじける命の表出に、乾杯です‼(六田知弘)

 

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2022.01.28 花屋さんの絵
花屋さんの絵

奈良県御所市にあるわが家の墓に参るとき、軽トラで葛城山添いに北に走って隣町葛城市の道沿いの地元の農園の老夫婦がやっている花屋さんで仏花を買います。
なぜわざわざそこに行くかというと、比較的安価だということもあるのですが、それより農家の作業場のような店内の板壁に一面に貼ってある子供たちが描いた絵を見るという楽しみがあるからです。
老夫婦のお孫さんたちが小さな頃に描いたものだそうですが、なかでも孫息子の一人が幼稚園のときに描いた大きな口を開けてスイカを頬張る絵と孫娘が小学1年生の時に描いたという「おむすびころりん」という絵にとても心惹かれます。
いつもここで花を包むおばあちゃんの話を聞きながら見惚れています。何とピュアで自由で心揺さぶられる世界でしょう。こんな絵は大人にはまず描けない。
成長するに従って知識や観念や先入観が積み重なって、自ずと魂が自由ではなくなってしまう。そうでないと生きていけない、生きづらい。
絵を描いた子供たちが大人になってさてどんな人生を送って行くのか、もちろん私にはわかりませんが、幾つになっても、このとき見えていた世界の記憶を、心の端っこにでも保ち続けていてほしい、そう、この絵を見るたびに思います。(六田知弘)

 

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2022.01.21 連載100回「美の棲むところ」
連載100回「美の棲むところ」

月刊美術誌「美術の窓」での私の連載「美の棲むところ」が先日発売された2月号でちょうど100回となりました。
この連載は日本をはじめアジア、ヨーロッパの各地で出会った、有名なものからほとんど誰も知らないであろうものまで、私なりにそこに何らかの「美」なるものを感じた場を写真と文章で(4ページ)構成したものです。
ギリシア北部カストリア地方の小さな教会の外壁に描かれたビザンチンの壁画に始まった連載の、記念すべき100回目は「興福寺」の北円堂の無著、世親像です。
100回というと8年余続いている事になりますが、その間にいろいろな事がありましたが、多くの方々のご協力でここまで続けられた事に感謝いたします。(特にこの連載を企画してくださった生活の友社前社長の故一井健二さんと前編集部長の故小森佳代子さんには深く深く感謝いたします。)
そろそろこれまでのものをまとめて単行本にできたらと思っているのですが、このご時世ではそう簡単にはいかないのが現実です。
いずれにせよ、まだまだこの連載で取り上げて皆さんに見ていただき、その存在を知っていただきたい心揺さぶられるものがいくつもあると思うので、もうしばらくは続けていきたいものと思っています。(六田知弘)

 

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2022.01.14 カンボジアの写真
カンボジアの写真

今、カンボジアの遺跡で撮った写真集を作ろうとと、これまでに撮り溜めた数万枚の写真から4500枚に絞り、それをさらに840枚まで絞った写真を、見開きを作るべく2枚づつ組み合わせる作業をしています。まだまだ絞り込めていないため、パソコン上でほとんど当てずっぽで組み合わせているだけなのですが、これがまた面白い。夢中になってしまい、このトピックスを書かなければならないこともすっかり忘れていました。
これはどの遺跡で、何を象ったものなのかとか、仏教なのかヒンドゥー教なのかとか、何年に撮ったものなのかとか、そんな意味的な部分をできるだけ取っ払って、ただ直感的にに入ってくる画像を組み合わせていくと、今まで私自身が気づいていなかったものがフツフツと現れ出てくる。それが面白い。
もちろん実際に写真集にするときには、信頼できる第三者の目を入れて構成し直す必要がある事はわかっているのですが、今はしばらくここで戯れているのもいいのかな、とも思っています。(六田知弘)

 

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2022.01.07 シロフクロウ
シロフクロウ

正月三日、抜けるような青空で、日差しもポカポカ暖かいので、自宅の周りの丘陵地帯をカメラを持って巡りました。午前10時半頃から歩き出して、家に戻ってきたのが4時半だったので、ほぼ半日歩いていたことになります。歩数にすると約20000歩でした。でも、なだらかな丘陵の落ち葉を踏んで、写真を撮りながらのゆっくりとした山歩きなので疲れは感じず、気持ちよかった。
後半は丘陵伝いに歩いて多摩動物公園に入りました。子供が小さい頃は近くなので毎週のように行きましたが、本当に久しぶり。
中は以前と余り変わっていなかったので余計にかもしれませんが、動物たちを見ながら楽しそうに語らう若い親子連れを見ていると、あれから20数年も経ったというのが嘘のように感じられます。
そんな事を思いながら、ふと横の飼育小屋を見ると、シロフクロウが一羽、私の方を向いて、何も言わずに微笑んでいました。

コロナのオミクロン株の新規感染者が急増しています。みなさん、どうぞご自愛くださいますように。
そして、良き年となりますように!(六田知弘)

 

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