六田知弘

MUDA TOMOHIRO >> Topics 2009

トピックス

写真家・六田知弘の近況 2009

展覧会や出版物、イベントの告知や六田知弘の近況報告を随時掲載していきます(毎週水曜日更新)。

過去のアーカイブ

2009.12.24 山茶花

駅に行くため高幡不動の裏山を歩いていたら、重なった枯葉のうえに、山茶花の花がいくつも落ちていました。白い花びらのなかにかすかにうかぶ薄紅色に何となく心ひかれてコンパクトカメラをバックからとりだし、屈み込んで写真を撮りました。花びらの縁が少し赤茶けてきているのもこれも自然でいいように思われます。カメラをかまえている左の腕に新たに落ちてきた花が当たりました。
春、桜吹雪のなかを花びらを払いながら駅に向かうのもいいのですが、ツバキや山茶花などの合弁花が ぽとり、ぽとりと落ちているのを踏みつけないように避けて歩くのもこの高幡不動の裏山の小さな楽しみかたでもあるのです。
冬至も過ぎて、いよいよ今年もあとわずか。このトピックスも今年はこれで終わりです。
今年もいろんなことがありました。来年はどんな年になるのでしょうか。
いい年でありますように。(六田知弘)

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2009.12.16 2010年 JALアートカレンダー

来年2010年用 JALのアートカレンダーができました。表紙をふくめて13枚のうち、絵画の3枚を除く10枚の写真は私が撮影したものです。ちょっと印刷には不満が残りましたが、まずまずのできだと思います。聖林寺の十一面観音、光悦の舟橋蒔絵硯箱、運慶作の制托迦童子、そして金剛寺の日月山水図屏風などなど、古美術好きの人には、よく羨ましがられるのですが、たしかに撮影のそのときだけは、こんなすごいものをある意味で独り占めできるのですから、カメラマン冥利といえるのです。 JALが現在こんな状態なので、これからどうなるか不安はありますが、ここはなんとかしのいで、50数年の歴史あるこのカレンダーを存続させてもらうことを切に願っています。ちなみに、再来年2011年版は、年明けから新たな撮影がはじまります。撮影はもちろん私です。今からちょっとわくわくしています。(六田知弘)

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2009.12.09 石の海

気温差20℃、真夏の東南アジアから真冬の東京に帰ってきました。そして、さっそく風邪をひきました。医者に行って診てもらったら熱もないのでインフルエンザではないということでした。毎日炎天下で撮影をしていたのでちょっと疲れが出たのでしょう。
今回はカンボジアの崩壊したクメールの遺跡を中心に撮りました。
崩れ落ちた大きな方形の石が山のように重なった瓦礫の上を歩き、倒壊した建物のわずかな隙間を潜ったりしていると、まるで石の海を泳いでいるような感覚をおぼえました。私が踏みつけるその石には、緻密な植物文様がびっしりと彫られていたり、大きな口を開けた水の怪物マカラや猿(ハヌマーン?)やガルーダ、そして蛇神ナーガや顔だけの怪物カーラ、時には、デーバータ(女神)らしきものの断片も見受けられたりするのです。
アンコール遺跡群からは随分離れているので訪れる人もほとんどいない、そんなうち捨てられたような巨大な廃墟の遺跡のなかにカメラをもって一人でいると、インコなどの熱帯の鳥たちの声や電車のブレーキ音のような高い音色で途切れることなく鳴き続ける蝉の声も手伝って、自分がまるで異界への入口に立っているような奇妙な感覚におそわれるのです。(六田知弘)

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2009.11.18 東南アジアへ

11月23日から10日間くらいカンボジアとタイの遺跡を撮影に行きます。
これまでに撮ったアジア各地の仏教遺跡を本にまとめる話があり、足らない要素を補充するのが目的です。ただ、私としては、それだけではなく、被写体としての遺跡に対して、これまでとは違う新しい自分なりの捉え方を見出すべく臨みたいと思っています。なにせ圧倒的な存在感をもつ被写体ですので、そう簡単にはいくはずもないでしょうけれど・・・。
ですので、帰国まで2,3回このトピックスもお休みさせていただくことになります。(六田知弘)

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2009.11.11 三輪山登拝

山自体がご神体の三輪山に登ってきました。三輪山は私の生まれた大和にあり、子供のころから大神神社(おおみわじんじゃ)に初詣のほかにもよくお参りしてとてもなじみのある山なのですが、ご神体である山そのものの頂上にはなぜか登ったことがありませんでした。
大神神社の左奥にある狭井神社で登拝の受付をし、そこでもらった襷をかけて、竹の杖をもって、ゆっくりと登っていきます。榊が繁茂する林のなか、山から流れ出る水にうたれる行場や、酒や卵(神の使いの白蛇に対する供物)などが供えられた二つの磐座(いわくら)を通過して、登り続けること約一時間。汗をかき始めたころに頂上に着きました。頂上といっても、林のために眺望はきかず、少しひらけた場所に小さな社殿があるだけです。数人の人がそれに向かって五体投地のようなことをしながらお経を読んでいました。(神仏混淆的なものがこの山にはまだ残っているのでしょう。) 奥のほうに続く細い道があったので、拝礼してからしばらく進んでいくと、そこにも小さな祠があり、そのうしろの結界で囲まれた中には大小の岩が百個位、ごろごろと露出しているのが見えました。おそらくこれも磐座なのでしょう。
岩は少し赤みを帯びた黒色で、ざらざらとした表面には、まるで人が砂の上に棒切れで描いたような均一の太さの直線が縦横にありました。私はその中のいくつかの岩を結界越しにしばらくぼんやりと眺めていました。そのとき、私はふと軽い既視感のようなものをおぼえました。この岩と同じものを以前どこかで見たことがある・・・。
私が生まれた御所(ごせ)の家には、小さいながらも中庭があり、そこに池が掘られていて、小学校に上がる前の私と弟はその池にそった縁側に座って、日向ぼっこをしながら小さな鯉や鮒が泳いでいるのを眺めたり、釣りのまねごとをしたりしてよく遊んでいました。その池の縁にこの磐座と同じ岩が使われていたのを、そのとき思い出したのです。この色といい、ざらざら感といい、何より表面にある人工的にもみえる縦横の線。間違いありません。
わたしは、岩という意外なものでも、この三輪山と自分とがつながっていることに驚きとほのかな喜びのようなものを感じながら、榊のにおいにつつまれて山を下っていきました。(六田知弘)

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2009.11.05 沼津でロマネスクの写真展示中

11月5日から11月いっぱいまで、静岡県沼津市にある沼津信用金庫本店の「ぬましんストリートギャラリー」で「ロマネスクの光と影 シロスとシルヴァカーヌ」と題して私の写真を展示しています。商店街に面した25メートルのウィンドーにスペインのシロス修道院とフランスのシルヴァカーヌ修道院の写真を計22点、ずらりと並べました。最大80×105cmの大型フレームが一直線にならんだすがたは壮観です。道路に面していて外からご覧いただけますので、もしお近くにいらっしゃることがあれば是非お立ち寄りください。夜10時までライトをあてているということです。夜がいいですよ。(六田知弘)

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2009.10.28 「根来」展再観

大倉集古館で開催中の「根来」展に再度行って来ました。少しずつ展示換えされているようで、最初のときに見て最も心引かれた尾張一ノ宮の真清田神社所蔵の押敷(入角)が同じセットのなかの別のものに入れ代わっていたのがとっても残念でしたが、大滝神社の四脚盤や東大寺二月堂で使われた日の丸盆、大三輪神社旧蔵の高杯、耳庵旧蔵の大盤などなど心が踊るすごいものの連続で、時間の経つのを忘れてどっぷりと日本美の世界に浸ることができました。
いわゆる根来(ねごろ)といわれるものは、木地に黒漆を下地に塗ってその上に朱漆を塗ったものを言いますが、それらは神社や寺院などで実際に使われてきたもので、長年の使用のうちに表面の朱がこすれて磨耗し、下地の黒が表面に現れてきます。また、長い歳月により表面が劣化し、細かいひび割れや皺ができたものもあります。器物の形もさることながら、長い年月のあいだの「用」に耐えたところから自然に生じた根来のありのままの肌の味わいに強く引かれます。
こんなところに「美」を見出すのは、われわれ日本人だけかもしれません。外国ならはげてきたり表面が傷んできたりしたなら、修理をして、新しく塗りなおすか、あるいは捨てて新しい物に取り替えるかするはずです。それが、何百年もの間、塗りなおすこともなく、使い続けるというのはどういうことなのでしょう。おそらくそのハゲやキズのなかに多くの人の手を通して受け継がれてきた歴史を見、それをそのままの形で引き継いで行かなければならないという使命感のような意識が働いているのだと思います。朱というのは、日本においては古来、神々と通じる聖なる色であったので、なお更そういうことがいえるのかもしれません。そして、その上に、長い間受け継がれてきたことにより自然に備わったいわば「時間の堆積の澱」のようなものに私たち日本人は独特の「美」を見出し、もしかしたら、そういう美を備えたモノの中に「神」をみたのかもしれません。これは不思議な文化だと思います。根来のなかに私は日本人独特の美意識の一つのコアのようなものを見る思いがするのです。
それにしても、根来の美というのはなんとアブストラクトなものなのでしょう。これは言葉に言い換えることはとても難しいことだと思います。しかし、写真に置き換えることは可能かもしれません。会場を巡りながら私は、これを写真に撮りたいという欲求がまたもやむずむずと湧き上がってくるのをおぼえました。というより、モノのほうから私に写真を撮れと働きかけてくるのを強く感じました。(六田知弘)

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2009.10.22 「神」は写真に写るのか

ちょっと風邪気味なので、今日は外に出ず、白洲信哉著『白洲正子の宿題 「日本の神」とは何か』を読みました。「家庭画報」に連載されたものをまとめたもので、高千穂、熊野、出雲、白山、沖縄、そして、三輪山、二上山、葛城、吉野、春日・・など日本の神々を訪ねる旅の記録です。こういうものにはすごく興味があるので、この連載の写真は私が担当したかったものだと思いながら、自分にもっとも身近な(私が生まれた)奈良県の葛城から読み進みました。読みながらこれらの神々が宿るとされる土地を私が撮るとした場合、「神」なるものを写真に写す事ができるのか、自分がかつてそこに立ったときの情景を思いだしながら考えました。私は日本における「神」とははっきりとした形を持つものではなく、ある特定の土地や自然やモノが放つ「気配」のようなものだと思うのです。その気配のような目に見えない「神」を写す事ができるのか。既成のイメージを増幅して神なるものをイラストレートするのはそう難しいことではありません。しかしそれではつまらない。神なるものを自分のイメージで「写す」のではなく、自分が意図することなく神なるものが「写っている」そんな写真を撮りたいものだと考えながらページをめくっていきました。(六田知弘)

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2009.10.14 「根来」展

大倉集古館で開催されている「根来」展に行きました。ここのところしばらく続いた低空飛行中の私の気分が会場に入った瞬間に一気に急上昇し、その衝撃で私はしばらく亡我の状態に陥ってしまったようです。
何百年もの間に、ごく密かに保ち育てられてきた日本独自の美意識の一つの核のかたちをいま、ここで見せつけられたように思いました。
無性にこれらの写真を撮りたいと思いました。(自分にはそれを写し込む力があるのかどうかわかりませんが、これを撮れる人はそんなにはいないはずです。)
すごい展覧会です。
17日から私の写真展「El oeste 西へ」がはじまります。私は、17日夕方には会場におります。是非お立ち寄りください。(六田知弘)

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2009.10.07 長崎「東松照明展」

長崎県美術館の「東松照明展」に行ってきました。東松さんは写真を撮る私にとっては、師であると同時に親父のような存在です。私が写真を始めて間もなしの頃、東松さんの「日本」という写真集をはじめて見たときの衝撃はあまりにも大きく、それが私の人生を決定づけてしまったといっても過言ではありません。あれから30年余りも経ちました。展覧会に並んだ長崎のカラー写真を見ながら、もうすぐ80歳になろうとする東松さんの写真に注ぎ込まれたエネルギーのすごさと、そのもって生まれたというべき映像感覚の鋭さに私はあらためて感心しました。そしていまさらながら嫉妬感のようなものを覚えました。今の自分にとって写真というのは杖のようなものだと東松さんは言います。カメラを持つと、普段は苦しい長崎のきつい坂道でもずんずん登っていけるのだと。
はるか後方からですが、私もゆっくりと焦らずについていきたいものだと思っています。(六田知弘)

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2009.09.30 写真展「Al oeste 西へ」を開催します。

2、3月に開催した写真展「シトーの光」に来てくださった方からいただいたアカンサスの株について6月のこの欄に書きました。その株は、今日見ると、濃緑色の葉をいく枚も繁らせて秋雨に濡れてつややかに輝いていました。鉢に植えてしばらくは、何だか弱々しく葉も黄色くなってきてこのまま枯れてしまうのかと心配しました。でもよく見ると、枯れかかった葉の付け根に小さなうす緑の幼葉が顔を出していました。私はそれにかすかな望みをつないだのですが、それがここまでたくましく育ってくれました。来年の5月には、花を咲かせてくれるでしょうか。どんな花か楽しみです。
アカンサスというと、私にとっては、ギリシャのコリント式の柱頭ではなくやはりロマネスクの柱頭彫刻です。スペイン サンティアゴ巡礼路には、フランスなどのものとは違った、独特の雰囲気のロマネスクの柱頭彫刻を持つ教会や修道院が点在します。 10月17日(土)から10月30日(金)東京東麻布のギャラリーウチウミで、写真展「Al oeste 西へ」と題した写真展を開きます。巡礼路沿いの聖堂に見つけたロマネスクの柱頭彫刻や路傍の十字架、そして、ピレネー山脈から西の果てフィエステーレに至る風景。前の展覧会「祈りの道」展には出すことができなかった私のお気に入りの写真を中心に構成しました。詳しくは、このホームページのpublicityの欄をごらんください。ご来場をお待ちしております。(六田知弘)

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2009.09.24 十五年ぶりの写真ネガ

やっとのことで鍵と開錠番号を探し出し、15年ぶりに防火金庫をあけて、30年近くも前にネパールヒマラヤのシェルパの村に住んで撮った写真のネガを引っ張り出してきました。私の実質的な処女作です。そのネガを、ライトボックスにのせて、ひとつずつ見ていくうちになんだか、とても奇妙な気持ちになってきました。時の缶詰を開けたような気分といえばいいのでしょうか。二十数年前に私は、「ひかりの素足―シェルパ」というタイトルで写真展をし、写真集も出しましたが、そこに使ったのは、ほんの極々一部に過ぎず、撮ったほとんどのカットは、プリントもされず、ただここで眠っていたのです。
撮影してから随分時が流れたのに、ネガを見ていると結構ファインダーを覗き、シャッターを押したときの情景というか、その刹那の自分自身の息遣いのようなものを結構リアルに思い出すものです。写真というものは、そのときに存在した被写体となったものの一瞬の姿を記録して、それと同時にそれを撮ったその時の自分自身もそこに一緒に写ってしまうのかもしれません。(六田知弘)

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2009.09.17 カラッと秋晴れ

昨日今日とカラッと秋晴れです。窓のそとからはまだツクツクボウシの鳴声も聞こえますが、その声もすでに、草むらの虫たちの鳴声に押されぎみです。夜に鳴く秋の虫たちの大合唱には、今年は随分勢いがあるように思えます。(特に外来種のアオマツムシの鳴声が大きいようですが。)その一方で、夏のアブラゼミはいつもの年よりなぜか元気がなかったように思うのです。(ここ数年、東京でも聞かれるようになったクマゼミの声も、今年は全く聞いていません。)

季節が移りました。そしてこの夏の間に何かが変わったような気がします。

9月16日、ついに民主党政権が誕生しました。
変わる事への期待と、不安を抱きながら、窓の外の高い空を流れる白い雲をながめています。(六田知弘)

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2009.09.09 雲岡石窟の写真集

「奥駈」でズル剥けになった足の裏の皮もようやく固まり、その部分が固く盛り上がってタコのようになりました。少し痒みがありますが、なんとなく、あの険しい奥駈を歩き通した証明書のような気がして、触っているとおかしな満足感を感じます。
さて、その奥駈の写真も奈良テレビのほうに送り、いまは、来年3月出版予定の雲岡石窟の写真集の画像調整に追われています。(六田知弘)

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2009.09.02 大峯山「奥駈」から帰還しました。

足の裏の皮があちこちズル剥けで、右足の親指のつめが黒く死んでしまいましたが、金峯山寺大峯山奥駆修行の同行取材からなんとか無事に帰還しました。
2、3年前にスペインのサンティアゴ巡礼路を歩いたときには、残された自分の人生で、このように長い距離を歩くことは、おそらくもうないだろうと思っていたのですけれど・・・。
今回の奥駈修行には、わたしは、その様子をドキュメントする奈良テレビの取材班に同行させてもらいました。
参加した行者は総勢29名、そのうち、新客とよばれる初参加の人が13名。25歳くらいから70歳くらいまでの男たちが吉野の金峯山寺蔵王堂から前鬼まで3日間、険しい紀伊山地の山中を毎日約14時間、垂直の岩をよじ登ったり、絶壁の上から身を乗り出して下を覗き込んだり、靡(なびき)とよばれる霊地で勤行したりしながら列を連ねて歩きました。途中、スズメバチにさされたり、足を痛めたりした人もありましたが、最終的には一人の落伍者もなく、みんな最後まで歩き通しました。終着点、前鬼の宿坊到着が大幅に遅れてしまった一人の老人がいましたが、彼の夕食のお膳の前で合掌する姿の清らかだったこと。あんな顔は本当に久しぶりに見たように思います。
俗世をはなれた大いなる自然のなかに身を投げだし命をもあずけることによって、大地の声を聞き、自分という存在と宇宙とのつながりを確認する。今度は、少し怖いけれど、私一人で(カメラを持って)この霊山に入ってみたいと思っています。(六田知弘)

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2009.08.25 大峯山「奥駈」に

いよいよ大峯山の奥駈(おくがけ)本番にカメラを持って入ります。
朝2時30分起床、3時30分出発で、午後3時まで、まる3日間紀伊山地の背骨の峰々を延々と歩きます。奥駈は、古来より修験道の最も重要な行のひとつで、深く険しい山中に分け入ることで、「死と再生」を体験するのだといわれています。これは何を意味するのか。身をもってその一端でも知ることができればと思っています。(六田知弘)

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2009.08.20 肉体を持った仏たち

これまで撮ったアジアの仏教遺跡の写真を整理していてあらためて感じたことがあります。インドから南東の方、つまりスリランカや東南アジアの仏像と、北東の方、つまり中国や朝鮮、日本の仏像が結構本質的なところで違いがあるのではないかと思うのです。
非常に大雑把ですが、南方の仏像は、熱い血がながれる、ある意味でエロスさえ感じさせる肉体をもつ仏の像であり、北方の仏像は釈迦の教えである仏教という抽象的観念の中に登場する仏のイメージを形象化したもののように思えるのです。例えば釈迦如来像についていえば南方のものは、紀元前5世紀に現実にわれわれと同じこの地上に存在したゴーダマ・シッダールタという肉体を持った人間の姿を写したもので、北方のものは、釈迦如来というわれわれとははじめから異次元の宇宙に存在する神のようなものを人のかたちになぞらえて形象化したもののように思えるのです。このような違いは、北と南の気候風土の違いや、ヒンドゥー教など他宗教の影響のしかたなど、長い歴史の中での様々な要因から生じたのでしょう。現在、日本では仏像ブームといわれていますが、南方の仏像も日本のものとはまたちがった魅力をもって、私の興味をそそるのです。(六田知弘)

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2009.08.13 綿くずのような不思議な生物

高幡不動の裏山を駅に向かって歩いているとき、ふと足元を見たら小さな真っ白な綿のような物体が、ゆっくりと動いていました。直径7ミリほどの不定形の綿くずのかたまりのようです。はじめは、蟻が白いなにかを背負って運んでいるのかと思いましたが、ちょうどそいつが一本の枯れた小枝に移ったときにその小枝ごと持ち上げて、間近で観察することにしました。横から、そして下から見てみると、それは蟻が白いものを運んでいるのではなく、白いものそれ自体がひとつの生物に見えました。でも目も口も何もなく動かないと前後もわからず、ただの綿くずのかたまりにしかみえません。しばらく見ていると、そいつは、また小枝の上を動き出しました。それでやっとどちらが前か判明しました。はじめはゆっくりでしたが、しばらくすると警戒を解いたのか、秒速1センチほどの結構な速さです。横から見ると、白い足らしきものが見え、その本数はわかりませんが、前足を前に伸ばして、後ろ足がその後からについてきます。つまり、体の下部だけが、尺取虫のように屈伸して前方に進んでいるようです。もしかしたら、蛾の幼虫に何か菌類のようなものが寄生したものかなとも考えましたが、白い綿のような部分と足とがそのバランスからみて一体のもののように見えるし、もし、菌類に寄生されているのならその動きもあんなに活発ではないのじゃないかとも思うのです。不思議なやつです。(もっとも向こうから見るとわれわれ人間のほうがもよっぽど不思議な生き物でしょうけれど・・・)どなたか、やつの正体をお知りのかたがいらしたら是非教えていただきたいものです。(六田知弘)

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2009.08.05 植松永次さんの仕事

植松永次という焼物の作家の作品を見ました。現在、長野県の小海町高原美術館で彼の作品展をしています。実は、それまでに私は植松永次という人の作品は全く知らず、私に彼の作品の写真を撮らせようと企む知人から半ば強制的に行かされた感じでした。
会場に一歩踏み入れ、鉄さび色の巨大な恐竜の卵のような作品を見たとき、私の脳内にごく微量のドーパミンが注出されました。そして、その横の壁面に、インドやネパールの農家の外壁に貼り付けられた燃料用の牛糞のようないびつな円形の数十個の陶板を見たとき、ドーパミンがさらに注入されました。そのあとに続く四角い肌色のローマの壁のような陶板や、蟹やシャコなどの巣穴の化石のような赤褐色の管の集合体、そして粘土が裂けて大きく亀裂がはいった直方体などを見て行くうちに、どんどん、どんどん私の脳内にはドーパミンが追加注入されていき、全てを見終わったころには、すっかり私は興奮状態になってしまったようです。そして、この人の作品を撮りたいと強く思いました。それまでは、どんな分野にかかわらず、現代作家の作品は撮りたくはなかったのですけれど・・・。
植松さんは、自分は「アート以前」の仕事をしているのだと言います。子供のように無心で土いじり、土あそびをしながら「土」という自然における根源的なもののマチエール(素材・材質)を触覚的、視覚的に感じ取り、その本質をしっかりと、揺ぎなく掴み取ったところに「創作の核」のようなものができ、それを源泉として、自ずから生まれ出てくる様々な「かたちたち」。植松さんの仕事は、「アート以前」であると同時に、ある意味で現代最も先端をいっているアートであるようにも思えるのです。とんがった自我意識の表現としてのアートなんかいまの私には無用です。 (六田知弘)


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2009.07.29 夜中のヒグラシ・民家園

真夜中に、窓を開けて湯船に浸かっているとヒグラシの声が聞こえてきました。カナカナカナ・・・と三回繰り返したあとは、遠くから列車の走る音が聞こえてくるだけでした。
世田谷の静嘉堂文庫美術館に中国陶磁の展覧会を見に行った帰りに、近くの民家園に寄ってみました。敷居を跨いで、たたきの土間に一歩踏み入れた途端、忘れかけていた匂いと光と風が胸にしみました。保存建築物ではなく、実際に今も使われている民家でこんなところがまだ残っているようならば、是非うかがって写真を撮らせてもらいたいものだと思いました。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただければうれしいです。(六田知弘)


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2009.07.23 蓮の花

法事で奈良県の実家に帰りました。近くに蓮田をみつけました。午後だったので、ほとんどの花は閉じてやわらかい紅色の蕾になっていましたが、いくつかはしおれて既に閉じる力もなくして開いたままになっていました。私はこの頃いやに蓮という植物にひかれます。いまにも降りそうな雲の下、蓮田の畦に屈み込んで開いた花をモノクロで撮ってみました。(六田知弘)


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2009.07.16 蓮と紫陽花

大峯山の蓮華入峯から無事帰ってきました。吉野山の金峯山寺蔵王堂から山上ヶ岳まで、107人の一行が列を連ねて13時間半、途中の靡(なびき)とよばれる霊地に蓮華(蓮)の蕾を一本ずつ供え、勤行しながら歩きました。今回は私はひとりの行者として参加したのでカメラを持たずに歩いたのですが、そのせいか、なんだかとても新鮮で心地よい気持ちで歩けました。
東京に帰ってきたら、あれほどあった高幡不動の裏山の紫陽花は、一本残らず花の部分を切り取られ、陰のほうに集めて山積みにされてありました。私は、そのうちの数本を家まで持ち帰り、紙の上において夕方の淡い自然光のもとで写真を撮りました。翌日、境内の蓮にも柔らかな蕾がついているのを見つけました。(六田知弘)


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2009.07.07 蓮華入峯

7月7日から9日まで大峯山修験道の行(ぎょう)蓮華入峯に参加します。吉野山の蔵王堂を8日未明に出発し、大峯山山上ヶ岳まで約13時間半歩き、山頂付近の行場で覗きなどの行をして、山上の宿坊に泊まり、9日に天川村洞川に降りてきます。これは、8月26日からの奥駆けの予行演習の意味合いもあるのですが、今回は私は取材者としてではなく、新客(初めて参加する行者)として参加するので、白い法衣を着て、白の地下足袋を履き、杖をもって歩きます。日本固有の山岳宗教の精神のほんの一部でも自分の身体をもって理解できればと思っています。(六田知弘)


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2009.07.02 アンドレ・ケルテス写真集

梅雨の時期は、朝から何となく身体がだるく、気分も沈みがちです。
神田神保町で打ち合わせがあったのですが、それが少し早めに終わったので、今にも降りそうな低い雲を気にしながら古本屋街をぶらつきました。
ある店で、アンドレ・ケルテスの写真集を見つけました。この本は岩波書店発行の大型本で、近くの図書館で何度か借りてきて見たことがあり、以前から知っていたのですが、このとき、棚からとりだしページを開いたときはなぜだか、非常に新鮮な感じをうけました。
改めて、ケルテスの画面構成力のすごさを見せ付けられたのと同時に、それとは矛盾するはずの、なんとも言えない独特の湿度とモノに対する柔らかな眼差しをその写真から感じました。モノを形で追っていくと、普通は冷たく鋭い印象を与える写真になるように思えるのですが、彼の場合は、その逆のものを感じさせるのです。その柔らかな眼差しが、今の私の気分とシンクロしたのかもしれません。
ケルテスは、パリやニューヨークで写真活動をしていたのですが、彼は、ユダヤ系ハンガリー人で、若いころと晩年には祖国ででも印象深い写真を撮っています。私は、ケルテスの場合、彼が生まれ育ったヨーロッパの東に位置するハンガリーという土地の風土のことを抜きにしては語れないように思うのです。明らかに西ヨーロッパの近代人の眼差しとは違うものを感じるのです。写真には、意識しなくてもそれを撮った人の人となりが写りこむのだと思うのです。(六田知弘)


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2009.06.24 アカンサス

写真展「シトーの光」に来てくださった方から、アカンサスの株を分けていただきました。アカンサスは地中海沿岸に自生する植物で、古代ギリシャのコリント式の柱頭にその葉の形が刻まれているのが知られています。それ以降、ヨーロッパの建築には装飾の題材としてよく使われているようで、わたしが撮ってきたロマネスク建築の柱頭にも、あの魅力的な怪物や聖書の物語などとともにその姿をしばしば見かけることができました。しかし、実は私は彫刻されたアカンサスは知っていたものの、実際のアカンサスはどんなものなのか、恥ずかしながら知りませんでした。
それを、今度いただいたのです。早速、鉢と土と腐葉土を買ってきて植え替えました。園芸で土いじりをするのは何年ぶりのことでしょう。アカンサスは結構大きくなり、うまく育てば5月には花が咲くのだそうです。さて、来年は花を咲かせてくれるのでしょうか。(六田知弘)

(そのいただいたアカンサスの株の葉と、スペイン エステーヤのサン・ペドロ教会入り口の柱頭彫刻の写真とを二つ並べてみました。)


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2009.06.17 高幡不動の紫陽花と蓮の葉

高幡不動の紫陽花は今が盛りです。私は、駅への行き帰りに毎日のように高幡不動の裏山を通ります。たくさんの人たちが一眼レフのカメラや携帯電話などで、まるでミツバチのように花にあつまり写真を撮っています。私も曇り空の下、それに混ざってファインダーを覗いてみました。紫陽花は裏山の斜面に群がって咲いているのですが、本堂の横には例年のように一鉢の蓮がありました。花や蕾はまだありませんでしたが、新しい葉の色が目にここちよかったので、これにもレンズを向けてみました。(六田知弘)


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2009.06.10 吉野・熊野 神々の気配

8月の大峯奥賭けに行く前にこれまで撮った吉野・熊野の写真を整理しておいたほうがいいと思うので、ここのところパソコンの画面にむかっています。それにしてもこの土地は何と濃厚な気配を放っていることでしょう。この現実世界の外側に存在する「異界」が放つ気配といえばいいのでしょうか。自然そのものや、その土地に宿る神々の霊気といえばいいのでしょうか。そこのところを、カメラを通して私は見据えてみたいと思うのです。気をつけなければならないこと。それは、決して、「異界」や「霊地」という観念やイメージのイラストレートにならないこと。そして、その世界に自分自身がのみこまれてしまわないように現実世界とのつながりをしっかりと持ち続けること。時間をかけてじっくりと取り組みたいと思っています。(六田知弘)

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2009.06.08 「パウル・クレー 東洋への夢」展

千葉市美術館で開催中の「パウル・クレー 東洋への夢」展を見てきました。
すいていてゆっくり見ることができました。この展覧会は、クレーの作品の中にみえる日本や中国文化とのつながりに焦点をあてた企画でした。クレーの若いころの作品には、確かに北斎漫画などから刺激を受けて描いたと思われる線描画が少なからずありました。クレーの作品とならべて北斎漫画が展示してありそのことがよくわかりました。
今回の展覧会では、クレー独自の世界が確立された1914年のチュニジア旅行以降の作品については、初期の作品のように具体的な例によって日本や中国美術の影響を示してはいませんでしたが、私は常々クレーの作品のなかに、特にクレー世界の確立以降の作品の中に東洋的なものを強く感じてきました。それは、もちろん線の描き方などの技法上のことと関係するのでしょうが、そういうことより私には、もっと作品自体から醸し出される匂いと言うか、温度というか肌触りというか、面的なものというか、そんなものが初期の作品よりもより強く、東洋的だと思えるのです。(もしかしたら、この「東洋的」というのは、西洋における中世のロマネスクやビザンティンが持つ感覚と結構近いのかもしれませんが・・・)
私がクレーに強く惹かれ続けるのは、クレー作品が持つこの「東洋的」なものが大きな要因かもしれないなと、展覧会場を見て歩きながらあらためて思いました。そして、私は、写真によってこの「東洋的なもの」をもっと深く掘り下げていきたいものだと思うのです。(六田知弘)

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2009.05.27 大峰山、山上ヶ岳から帰還しました。

夜中の1時半に天川村洞川の宿を出発し、途中小雨に降られながら山上ヶ岳頂上の大峰山寺までの往復約7時間、カメラを持って歩いたのですが、はっきり言って予想していたよりずっと楽でした。絶壁から逆さに吊り下げられる「西の覗き」も初めてということで手加減されたのか、もっと前まで突き出してくれればいいのにと、そのとき思ったほどでした。きつかったのは山登りより前日の水行(すいぎょう)でした。ふんどし一丁で、湧き水に腰までつかる約5分間。これは身も心も縮み、凍える時間でした。
今回は8月に参加予定の奥駆け(おくがけ)の下見の意味で参加したのですが、登行自体は、あまりその意味をなさなかった感じです。7月の上旬に本番の奥駆けと同じコースを通って山上ヶ岳に至る蓮華入峯というのがあるので、それに参加しようと思っています。今回参加した人の中にその蓮華入峯を経験したひとがいて、彼の話では、比較にならないほどきつく、一日で足がパンパンに腫れ上がったそうです。
今日、吉野山の法具店でそのときに履くための白い地下足袋を買いました。
実際、私が本当にやりとげることができるかどうかはわかりませんが、以前から一度はこの大峰山奥駆けを経験してみたいものだと思っていたのです。日本の文化の基層に流れるものを知るためにも、そして、私自身のルーツを探る意味でも・・・。(古来、吉野からの奥駆けは、「六田の渡し」での水垢離からはじまるのです。)(六田知弘)


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2009.05.20 大峯山へ

修験道のメッカ、奈良県の大峯山に行きます。予定していた吉野山の蔵王堂から熊野まで千メートルを越える紀伊山地を縦断する「奥駆け」が、金峯山寺の管長が亡くなられたために8月に延期になり、今回は天川村の洞川から山上ヶ岳の行場までの山伏一日修行に参加します。いわば「奥駆け」の予行演習です。
修験道の開祖、役小角(=役行者)が生まれたとされる吉祥草寺の近辺でクワガタ虫を採ったりして遊んだ遠い記憶のある私にとって、この大峯山行は自分の原点を見つめ直すことにつながるはずだと思うのです。(六田知弘)


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2009.05.13 「白いやきものを楽しむ」展

7月5日(日)まで京都の細見美術館で「白いやきものを楽しむ」という展覧会が開催されています。
これは、私もそのメンバーのひとりである愛知中国古陶磁研究会(愛陶会)という中国古陶磁愛好家たちの集まりがあるのですが、そのコレクションのなかから白いやきものだけを持ち寄り、構成して展示したものです。2年ほど前、愛知県陶磁資料館でこの展覧会をしたのですが、その京都版です。新石器時代から明時代まで、4千年以上にわたって作られ続けてきた白いやきものがずらっと勢ぞろいです。
金持ちでは決してない一般人のコレクションだけで、よくこれだけの量と質が集まったものだと自分たちのことながら感心します。(もっとも私のものは、ほんの数点しかありませんけれど・・・。)京都に行かれることがありましたら是非お立ち寄りください。ほれぼれする形のものや、吸い込まれてしまうように魅力的な白い釉肌のやきものにきっと(少なくとも一点は)出会えることとおもいます。(六田知弘)

  • 「白いやきものを楽しむ」
  • 会期/開催中~7月5日(日)
  • 会場/細見美術館 京都市左京区岡崎最勝寺6-3
  • 開館時間/10時から18時
  • 休館/月曜日
  • 問い合せ/075-752-5555


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2009.05.07 雲岡石窟「仏の宇宙」

連休中は連日、昨年の夏に撮った雲岡石窟の写真の整理をしていました。特別の許可を得て、雲岡全窟を10日間かけて、普段は立ち入りを許されないところからも撮ることができたうえに、デジタルカメラで撮ったので、撮影カット数がなんと6千数百枚。あまりにも膨大すぎて、かえって手付かずのままになっていました。
写真の整理は、第1窟から順にはじめて、やっと今日、曇曜五窟の第18窟にとりかかったところです。それにしても、やっぱり、日本の仏教美術の源流といわれるだけあって、雲岡はすごい。ひとつひとつの彫刻が魅力的だというのはもちろん、今回、岩壁を掘りぬいた石窟の内部まで入って撮影できたこともあって、その巨大な空間に彫られた20メートルを越す巨大な仏像の意味するところを肌で感じることができたように思うのです。あえて言葉にすれば「仏の宇宙」の顕現といえばいいのでしょうか。柵越しに、洞の外から仏像を見上げているだけなら、ただ馬鹿でかいだけの巨大ロボットのようにしか見えなかったのですが、一歩中に入って、その空間の光のなかで仏のすがたをほとんど真上に仰ぎ見たとき、宇宙の中心にしっかりと根をはった大樹のように存在する大いなる仏の宇宙を感じるのです。それを、しっかりと私のカメラで写しとめられているのかどうか。近い将来、みなさんにご覧いただきたいと思っています。(六田知弘)


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2009.04.30 マーク・ロスコ展 と「東雲篩雪図」

佐倉の川村記念美術館で、マーク・ロスコを見てきました。
ロスコの作品は図録やポスターでよく見かけますが、印刷がいくらよくても、やっぱり実物を見ないとその内容のほんの一部しか伝わらないものだと改めて思いました。
その大きさによる迫力と、近づいて見ることではじめて見えてくる筆のタッチやテクスチャーからにじみでる作者のたましいのうごめき。そして、今回はじめて一つの場所に集まったシーグラム壁画がつくりだす異次元空間。2時間たっぷりその異空間でたゆたわせてもらいました。そして、その部屋を出たところの小部屋に展示された数枚の最晩年の作品。自ら開けた扉をくぐって作者は向こうへ行ってしまいました。
その帰りに千葉市美術館で開催されている「大和し美し」展で浦上玉堂の「東雲篩雪図」を見ました。これもまた、見るものを異次元の空間におそろしい引力で引き込みます。川端康成がこの絵を所蔵し、常に傍らに置いてながめていたといいますが、私はこの絵がもつ引力で、彼は、向こうの世界にひっぱられてしまったのではと思うほどです。これもまた、印刷ではなく実物を見てはじめて伝わる感覚です。
私が思う本物の美とは、現実の世界をつきぬけたところに存在する異次元への扉の向こう側を垣間見せてくれる(ほんとうは恐ろしい)ものであるのかもしれません。(六田知弘)


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2009.04.22 若葉が目にまぶしい季節になりました。

薄青の空に浮かぶ白い雲の切れ端もゆっくりと流れ、幼い頃に実家の二階の畳に寝転んで、窓越しに電線の向こうに浮かぶ雲を飽きもせず眺めたときの記憶が何となくよみがえります。
東京やパリでの写真展も何とか開くこともでき、自分としてはここで一区切り。小休止してから、あせらずに、またゆっくりと歩いていこうとおもいます。(六田知弘)


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2009.04.15 帰国しました。

パリから帰ってきました。写真展は5月9日までですが、4月9日のオープニングとその後の2日を見とどけて帰りました。
オープニングパーティーは大盛況で、作品についてもそれなりに好評だったと思います。フランス人は、ものごとを、特に「美」や「味」に対しては、自分の感想や意見を言葉に出してはっきりと言います。みんないっぱしの評論家です。どこの点が、どういう風にいいのか、悪いのか。どういうように好きなのか嫌いなのか。お世辞や社交辞令を抜きにして、自分のことばで話します。国民性もあるでしょうが、子供の頃からそういうふうに教育され、訓練されてきたからだと思います。やはり大した国だと思いました。
写真展はまだ始まったばかり、これから私の仕事がパリのひとにどういう風にうけとられていくのかわかりませんが、後はギャラリーと、そして、作品自体にお任せして、私はここで一区切り。次に行かねばなりません。(六田知弘)


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2009.04.08 花満開のセーヌ河畔

パリに来て最初の一週間は毎日のように寒風が吹きすさび、セーターを買うにも街中の洋服店は既に春ものばかり。仕方なく、蚤の市で安物の分厚く重いものを見つけてなんとかしのぎました。そして、それから3日もたたないうちに、一挙にぽかぽか春本番がやってきて、セーヌ河畔はいまはチューリップと八重桜が満開です。 私は、知人の知人からマレ地区のサン・ポールのアパートをかりて、そこから毎日、カルチェ・ラタンのサン・ジェルマン・デ・プレのギャラリーまでセーヌ川沿いに35分、運動と散歩を兼ねて歩いて往復しています。 4月9日からはじまる写真展「Clair Obscur」の準備も整いました。全部で40点、真っ白の壁面にたっぷり余裕をもたせて並べました。東京の繭山龍泉堂での「シトーの光」のときは落ち着いた土壁にガラスをはずして黒いフレームで展示しましたが、今回は、白く明るく奥行きのある空間に、白と木のフレームです。全く違う環境で、私の写真がどういう表情を見せているのかちょっとだけ心配でもあるのですが、ここは私の写真を気に入ってくれているギャラリーのオーナーの感性にまかせてみるのもいいと思うのです。 さて、「美」に対しては驚くほどに貪欲なフランス人はどのように見るのか、その反応がたのしみです。(六田知弘)


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2009.04.01 レンブラントの「読書する老哲学者」

写真展の準備でちょっと早めにパリに来ましたが、時間があったので一日ルーブルで過ごしました。
ちょうど日本での展覧会のために、結構多くの作品が出張中でした。それでもルーブルに来たときは必ず会いに行くレンブラントの作品「解体され、吊るされた牛(題名不詳)」はいつものようにありました。ものの存在の本質をまさに出刃包丁で突き刺し、抉り取るようなレンブラントの目を象徴するかのような作品です。
そして、「読書する老哲学者?」もありました。薄暗い室内の窓ぎわ、画面左端に、分厚い本を開いたまま椅子に座り、膝上で両手を結んで居眠りをしているようにも見える白髭の老人がいます。画面の中央には、木造の螺旋階段があり、右端には炉の火をさわる老婦人が描かれています。ぱちぱちと火のはでる音だけが聞こえてきます。決して巧みな絵ではありません。しかしその深い陰影のなかにモノの本質を抉り取り、鷲掴みするレンブラントの恐ろしい眼差しをここにも感じるのです。
ところで、今回あらためて気づいたことなのですが、レンブラントの部屋の一つ手前の部屋にも「読書する老哲学者」というタイトルの絵があるのです。これは、KONINCKというレンブラントより一世代ほど前の画家の作品です。これがまた、レンブラントのものとよく似ているのです。ただ、こちらの老哲学者は、窓際の明るい光をうけ、左手を方にあてながら、目をあけて、読書にふけっているという感じです。光がやわらかく、見ていて心が落ち着く、好感の持てる絵ではあるのです。しかし、私が、やはり、レンブラントの、深い闇を含んだ陰影のなかに浮かび出るモノの存在に注ぎ込む眼差しを欲しているということは、ずっと以前から変わらない事実ではあるのです。(六田知弘)


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2009.03.25 WBC

今日は、WBCの決勝戦を見ながらパリ行きの荷造りをしました。すざましい試合でした。見ているこちらもはらはらどきどき、結構緊張してしまいました。日韓両国の選手たちの全身全霊をかけて戦う姿に感動しました。単純ですが、自分も勇気をもらったように思います。
明日、パリに出発します。
4月13日には帰国する予定ですが、その間、ネットがうまく使えればこのトピックスを送りますが、向こうの事情で2~3回休ませてもらうことになるかも知れません。
パリでの写真展の詳細については、このホームページのpublicityのところをご覧ください。
4月9日から5月9日までパリのサン・ジェルマン・デ・プレのギャラリー・フレデリック・モアザンでです。4月9日6時からオープニングパーティーをします。もし、パリに行かれることがありましたら、是非お立ち寄りください。(六田知弘)


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2009.03.18 伽羅の香り

探しものをしていて、戸棚の引き出しをあけたら、香木の伽羅(きゃら)の一片が出てきました。手に取って鼻に近づけるとなんともいえぬ芳しい香りがしました。これは、もう8~9年もまえに、知人からもらったものですが、いまだに良く香ります。極楽浄土には、こんな香りがあたりにたちこめていて、私の好きな人面の鳥、迦陵頻伽(かりょうびんが)の妙なる声がどこからともなく聞こえてくるのでしょうか。今は、パリでの個展のためのプリントの真っ最中。ちょっとだけ息抜きができました。(六田知弘)


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2009.03.11 今日は

今日は、一日家にこもってプリントをしていました。夕食後、犬を連れて外に出たら、満月に薄く、濃くかかった雲が強風に煽られてむらむらと流れていきました。スティグリッツの撮った雲のようでした。
「シトーの光」が終わりました。この季節にはめずらしい冷たい雨の日つづきでした。それにもかかわらず、多くの方々においでいただきました。心より感謝いたします。この写真展には、大げさに言えば、私の写真家人生をかけた一つの勝負のつもりで臨みました。主催者として会場を提供してくださった繭山龍泉堂の方々を始め、本当に多くの方にたすけられました。感謝の気持ちでいっぱいです。
4月には、パリでこのシトーの写真展を開催します。ゆっくり感慨にふけってなんかいられません。今度は、写真発祥の地であり、シトーの地元でもあるフランスで、いざ勝負です。(六田知弘)


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2009.03.04 光のなかで

京橋 繭山龍泉堂で開催中の「シトーの光」もあとわずか。
3月7日(土)までです。
毎日会場で皆様をお待ちしております。
寒い日が続きますが、ぜひシトーの光の中にたたずんでみてください。(六田知弘)


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2009.02.26 写真展「シトーの光」開催中

2月23日から写真展「シトーの光」が始まりました。初日から雨模様の寒い日が続いていますが、昼食をゆっくり食べておれないほど次から次へと途切れることなく多くの方においでいただいております。うれしいことです。是非この機会に私のオリジナルのモノクロ大型プリントでシトーの光の空間をゆっくりと楽しんでいただきたいと思います。私は毎日会場におりますので、是非お声をおかけくださり、ご感想をおきかせください。お待ちしております。(六田知弘)


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2009.02.18 写真展「シトーの光」がはじまります。

やっとプリントが終わりました。いよいよ23日(月曜日)から写真展「シトーの光」が京橋の繭山龍泉堂で始まります。
皆さん、是非お越しいただき、私のオリジナルモノクロプリントで、シトーが持つ澄明な光の波動を感じていただきたいと思います。
ところで、東京の写真展のあと、4月9日から5月9日までパリのギャラリーでも同じシトーの写真展をするのですが、むこうのギャラリーが付けたタイトルは、“Clair-Obscur”です。日本語にすると「光と影」。私はフランス語は全くできないのですが、フランス語に堪能なひとによれば、”Clair-Obscur”というのは“Lumiere-Ombre”というより光と影にもっと深い意味を持たせた表現なのだそうです。シトー会の教会堂がある地元のフランス人にとっても私の写真の光が印象的だったのかもしれません。うれしいことです。
東京での展覧会の会期中は、私は会場に毎日いるつもりです。是非ご覧いただいて、みなさんのご感想をお聞かせ願いたいと思っています。(六田知弘)


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2009.02.12 今プリントの真っ最中

今、23日から始まる「シトーの光」の本番プリントの真っ最中です。
今回は、全てモノクロで、光に重点をおいた作品なので、プリントには非常に気を使います。
静謐な中に霊的波動のようなものが宿る「光の空間」をこのプリントで感じていただけるかどうか、苦闘しているところです。(六田知弘)


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2009.02.04 写真展「シトーの光」

2月23日から3月7日まで東京京橋の古美術店 繭山龍泉堂において、ロマネスク様式のシトー派の修道院を撮った写真展を開催します。
シトー派の建築についてはこれまでに幾度かこの欄でも触れましたが、現在の私の切り札だと思っています。


六田知弘写真展 『シトーの光』
・会期 2009年2月23日(月)から3月7日(土)会期中、日曜日もふくめて無休
・開催時間 10:00-18:00
・主催、会場 繭山龍泉堂 東京都中央区京橋2-5-9(京橋駅より徒歩3分、宝町駅より徒歩2分) TEL 03-3561-5146 http://www.mayuyama.jp/


彫刻などの装飾を排除した石積みの堂内や廻廊に差し入る光と、それによって作られた静謐でかつ霊的な波動に満ちた空間を、モノクロの大型プリントで感じていただければと思います。
期間中、私は基本的には毎日、会場にいる予定です。


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2009.01.28 聖林寺の十一面観音

奈良県桜井市にある聖林寺の十一面観音の撮影をしました。
以前にも一度、亡くなられた前住職に無理の上に無理を重ねてお願いして撮らせていただいたことがあります。そのときは、20年ぶりの撮影の許可だったそうです。あれからもう7年ほども経ちました。もちろん、観音様の姿は何も変っていません。
今回、観音像の前に立ったとき、前回の撮影のときのことをふと思い出しました。下見で訪れ、前住職に案内されて像の前に立ったとき、しばらく無言が続いた後、ご住職が私に「どうですか」とつぶやくよう聞かれました。私は、「美しいです。」と答えました。「それだけですか。厳しくないですかこのお姿は」「いや、ものすごく厳しく、こわいです。それも含めて私は、美しいと思うのです。」というやり取りをしたことを覚えています。今から考えると、長年この観音様を守ってこられたご住職に私のような若造が、随分生意気な答え方をしてしまったと恥ずかしい思いがします。しかし、どこまでわかっているのかは別として、そのときも、今も、やはり同じように感じるのは確かなことではあるのです。
どこまでわかって「美しい」と言ったのか。私は言葉の人ではないので、うまく言い表すことができません。それが表れているとしたら私が撮った写真のなかにあるはずです。
写真には、被写体といっしょにそれを撮った人が写り込みます。そのことが面白く、また同時にとても恐ろしいことでもあるのですけれど。

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2009.01.23 「祈りの道」のオリジナルプリントをご購入していただけます。

東京でのルイス・オカニャ氏との二人展「祈りの道 サンティアゴ巡礼の道と熊野古道」も一ヶ月がすぎ、来場者も2万人を超えたと聞きました。多くの方々にご覧頂くことができて、とても嬉しく思っています。
ところで、オープンからこれまでに、何人かの方にここに展示されてある写真のオリジナルプリントを手に入れたいのだがそれは可能かという問い合わせがありました。それで、熊野古道を撮ったルイス・オカニャ氏とも相談し、3月15日の閉幕までを一応の限定期間として、相田みつを美術館のミュージアムショップに二人の小さめのオリジナルプリントを数種類置いてもらい、そこで販売することにしました。そして、ショップに並んでいない写真やサイズの異なるものに関しては、それぞれのホームページで購入していただけるようにしました。
印刷とは一味も二味も違う、写真家自らがプリントしたサイン入りのオリジナルプリントを是非お手元においていただければと思います。(六田知弘)
六田知弘の写真作品がご購入いただけます

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2009.01.14 月の光

1月11日、真冬の澄みきった夜空にきれいな満月がかかりました。まさに煌々という表現がぴったりな青い月明かりが、散歩する犬と私の影を地面にくっきりと映し出しました。まるで自分が、あのデ・キリコの絵のなかに迷い込んだような感覚を覚えました。どうして月の光はこんなにも鋭い影をつくるのでしょう。
月光といえば、もう二十数年も前になりますが、ヒマラヤの村に住んでいたときのことを思い出します。
シェルパの村では、太陽暦でいうとだいたい1月末頃からの約1ヶ月間をローサルといって、正月にあたります。(ローというのはシェルパ語で年という意味で、サルは新しいという意味です。)
ローサルの間の夜は、大人も子供も集落の住民全員が、だいたい一日おきに持ち回りで一つの家に集まって、ケロシンランプの灯りの中で、チャンとよばれるドブロクを飲みながら、一列に肩を組み、木の床を調子をつけて踏み鳴らし、シェルパダンスを踊ります。私も一つの家族のなかに居候させてもらっていたので村の一員としてみとめられ、ローサルの間は欠かさず夜の集まりに顔を出しておりました。そんなある夜、急な斜面に張り付くように建てられた上手の家に向かう時にみた月光を、今も忘れることができません。月明かりがこんなにも明るいものだということをその時はじめて知りました。シェルパの村にはその頃は、もちろん電気もガスもありませんでした。ですから、月のない夜はまったくの漆黒の闇が支配します。そのかわり、月夜の明るさは信じられないほどなのです。特にあの夜はすばらしかった。斜面に作ったジャガイモのだんだん畑にはうっすらと雪が積もり、谷の向こう側には、タムセルクという屏風のように切り立った7000メートル級の白銀の氷壁をはじめ、いくつもの雪と氷の高嶺が、月光をうけて光り輝いています。その山々からの反射もあってか、足元は光に満ちていました。私は、宇宙からの光にすっぽりと包まれていました。そして、氷河から流れ出た谷川の音を聞きながら黒々とした岩の上に立って月を仰ぎ見たとき、なぜだか急に涙があふれ出たのをおぼえています。
話は変わりますが、2月23日から3月7日まで東京京橋の繭山龍泉堂で『シトーの光』という写真展をします。これは、ロマネスクのシトー会の修道院をその「光」に焦点をあてて撮ったものです。そういえばシトーの光は、太陽の光ではなく、まさにこの月の光に似ているようにも思えるのですが、いかがでしょう。(六田知弘)

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2009.01.07 2009年 明けましておめでとうございます。

新年は、帰省はせずに東京で迎えました。
三賀日は素晴らしい快晴つづきで、私の家のすぐ横からは青空に真っ白な富士山が良く見え、まさに日本晴れという感じでした。元旦の朝は、息子は零時過ぎから伊豆に初日の出を撮りにいき、私は富士山の撮影で、妻は朝寝と、まずはめでたい年明けかもしれません。
今年は、昨年暮れからひきつづき、ルイス・オカニャ氏との二人展「祈りの道 サンティアゴ巡礼の道と熊野古道」が3月15日まで続くのと、2月23日(月)から3月7日(土)まで東京京橋の老舗古美術店 繭山龍泉堂でシトー派の修道院を撮った写真展「シトーの光」を開催します。またパリのギャラリーでも同じシトーの写真展をする予定です。
世界的大不況の大風のなか、いつか見た夢のように、飛沫を頭からかぶりながら小さな漁船で家族三人が夜の日本海を渡っていくような気分でもありますが、ここまできたら引き返すわけにもいかず、自分たちの勘を信じて、運を天に任して進むしかありません。

写真は、元旦の朝に近所から撮った富士山の写真です。
皆さんにとって、今年は良い年となりますように。(六田知弘)

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