六田知弘

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トピックス

写真家・六田知弘の近況 2021

展覧会や出版物、イベントの告知や六田知弘の近況報告を随時掲載していきます(毎週金曜日更新)。

過去のアーカイブ

2021.12.24 初冬の朝のベランダ
初冬の朝のベランダ

吉野の仕事場のベランダの床面。
朝、気功ストレッチをしていてふと足元を見ると、エアコンの室外機用の台の痕の上に、建物と吉野川との間にある欅の大木のものらしい小さな葉っぱが、なんとも自然にのっていました。
今年のトピックスもこれで終わりです。コロナ禍でなんとも言えぬ閉塞感を抱えたままで今年も暮れようとしていますが、新しい時代の到来の前はいつもこんなものなのかもしれません。いつか温かい光がさしてくるはず。ここはジタバタすることなく自然の流れに身を任せて生きていければよいと思っています。

みなさんどうぞ良き年をお迎えくださいますように。(六田知弘)

 

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2021.12.17 吉野より
吉野より

毎月1回は奈良県の吉野の仕事場に来ています。しかしどういうわけかこの3-4ヶ月は、吉野にいても、山の方には入る気がせず、仕事場周辺の吉野川沿いを歩いて写真を撮っています。
橋の上から赤く染まりかけた雲を映す川面を眺めていると、それだけで心が落ち着きます。
この地に住んでいた私のご先祖さん達もこれと同じ景色を見ていたに違いありません。(六田知弘)

 

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2021.12.10 津久井湖畔にて
津久井湖畔にて

津久井湖の湖畔にある、彫刻家 橋本雅也さんの自宅兼アトリエに行き、2人で近くを紅葉を見ながら歩いていると、以前にも入った事がある谷が目に入りました。谷に入ってすぐ上のところに昔に何らかの目的で掘られた浅い洞窟があるのを思い出して、そこにもう一度行ってみたくなりました。私が先に谷に入ろうとして身を確保するために掴まった直径60〜70センチ程の大きな石がゴロンと地面から外れて、私が石と共に下に倒れ落ちました。幸い石は私の直ぐ横に転がって、難なく助かったので良かったのですが、もし私の上に落ちてきたとしたら、大怪我どころか運悪ければ死んでしまっていたかもしれないと思うと、かすり傷ひとつなく助かった我が身が、変に愛おしく思えてしまいました。何かに守られていて、「まだお前にはするべき事が残っているのだ」と言われているように思えて感謝の気持ちが溢れてきました。そして思わずその何かに向かって手を合わせている自分がいました。(六田知弘)

 

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2021.12.03 「真紅」の輝き
「真紅」の輝き

先週に続いて高幡不動の裏山での事。晴れ渡った師走の朝、もうすでにほとんどの木が紅葉のピークを過ぎてしまっていたのですが、その中の一本の楓が木間から漏れる朝日をスポットで受けて、真っ赤な塊になって目に飛び込んできました。「真紅」とはまさにこの色。ほんの1分ほどの、恐ろしくなるほど奥深いグラデーションの中の光の輝きでした。(六田知弘)

 

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2021.11.26 森の綿毛
森の綿毛

駅に行くため、燃えるような楓の紅葉を仰ぎながら高幡不動の裏山を歩いていて、ふと足下を見ると、木漏れ日を受けたコナラの落ち葉の上に、白銀色に綿毛がふたつ光っているのが目に留まりました。名前は知らないけれど(アキノノゲシ?)おそらく菊科の植物のものでしょう。
これとよく似た綿毛をカンボジアの遺跡を囲むジャングルの中でも見たことがあります。あの時は高い樹林の間から漏れてくる熱帯の陽光の中で揺らぎながら輝く夢のような物体を30分も写真を撮ってました。今回もスマホと一眼レフとを取っ替え引っ換えしながら時間を忘れて撮っていて、おかげで電車に乗るのが予定より2本も遅れてしまいました。(笑)(六田知弘)

 

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2021.11.19 壁の表情
壁の表情

東京黎明アートルームで開催されていた写真展『アメツチアキツ』もおかげさまで、無事盛況のうちに終えることができました。感謝申し上げます。
その最終日の昼前、カフェに面した展示スペースの奥にコンクリートの壁に仕切られた小さな石庭があるのですが、その壁面の内側に秋の澄んだ陽光が鋭角にあたっているのが目に留まりました。ポケットからスマホを取り出し、その面を何カットか撮ったうちの一枚がこの写真です。
壁を仕上げる時に、意識して均一にしなかったのでしょうが、それがなんとも効いていて、ついつい惹かれてしまうこころ憎い演出です。展覧会の期間中、何度かこの光を見たのですが、こういう風になるのは晴れた一日のうちのほんの5分足らず。瞬く間に影ってしまいます。季節によっても見え方が全然違いでしょうが、私にとってはとっても落ち着く、自然と人間の意図せぬ?共演でした。(六田知弘)

 

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2021.11.12 アケビの実
アケビの実

駅に行く途中の道端にアケビの実が一つ落ちていました。コンクリートの塀の上の住宅の庭に蔓が見えるのでそこから落ちてきたようです。アケビの実を見るといつも宮沢賢治の「春と修羅」の冒頭部分が頭にうかびます。

心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐食の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽よりもしげく琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
・・・・


以前にも増して、こころを激しくゆさぶられるように感じるのはどうしてでしょう?

さて、開催中の『アメツチアキツ』も明日13日まで。その日は11時ごろから(昼時間を除いて)16時まで会場におりますのでお声がけいただければ嬉しいです。(六田知弘)

 

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2021.11.05 11月の朝顔
11月の朝顔

今朝、いつものように玄関先で体操していたら、植木鉢のほとんど枯れた朝顔の一番下の土スレスレのところに、花が一輪咲いているのを見つけました。花びらの縁が開き切らずに縮れていて普通の花よりずっと小さく、華やかさとは縁遠いのですが、花芯の部分に柔らかな朝日を受けた姿を見ていると、なんだか自然にありがとうという思いが湧いてきたのはなぜなんでしょう。
もうひとつ11月になっても生きているものがいます。前にご紹介した吉野の仕事場の玄関ドアの横にいた大きなヒラタクワガタと息子がどこかで採ってきた7センチを超える特大のミヤマクワガタです。ヒラタクワガタは越冬するから不思議ではないのですが、ミヤマクワガタが11月まで生きているのは私の子供の頃からの経験ではない事です。
地球温暖化のせいなのか、飼育の仕方によるものなのかわかりませんが、ささやかなことですが嬉しい事です。
それでも街路樹も色づいて秋は着実に深まってきています。20数年間生きていてくれているスッポンもそろそろ冬眠の頃かもしれません。

13日(土)まで東中野の東京黎明アートルームで写真展『アメツチアキツ』開催しています。是非お立ち寄りを。(六田知弘)

 

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2021.10.29 星月夜
星月夜

みなさん、この写真はなんだと思われますか?
シルエットになった山の稜線と星が光る夜空を描いたゴッホの絵のようにも私には見えるのですが、いかがでしょう?
実はこれはラピスラズリを撮った写真です。
先日終わった金沢での写真展「シトーの光」の会場であるアート玄羅と同じビルにある石の標本屋さん「石の華」で買ったアフガニスタン特産の鉱物ラピスラズリの原石を、家に帰ってからスマホで撮ったのがこの写真。
子供の頃から石を集めて、虫メガネで細部を覗き込むのがとっても好きだった私ですが、石を見ながら知らぬ間に石の宇宙に引き込まれてしまっていたように思えます。
ゴッホもこの現実の世界と向こう側の世界との境界線がなくなった状態で、あの「星月夜」などを描いたのかもしれません。(六田知弘)

 

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2021.10.22 上田泰江さんの絵
上田泰江さんの絵

先日、銀座の画廊 阿曾美術さんから展覧会の案内の葉書が来ました。金沢での写真展「シトーの光」と東京での「アメツチアキツ」の準備で結構バタバタとしていたときだったのですが、チラッと見て、この絵は普通ではない、と感じました。
その時はそれだけだったのですが、東京での「アメツチアキツ」の展示も完了して、一息ついたところで、その葉書の絵を改めて見たとき、思わず胸にこみ上げてくるものを感じました。久々の衝撃でした。展覧会の事などいろいろ重なって、精神的にちょっと疲れていたこともあったのは否めないですが、それでもなんでそんなに自分がその絵に反応するのかわかりませんでした。
それから数日後の展覧会初日の午前中、奈良に向かう新幹線に乗る前に展覧会場に立ち寄る事ができました。またもや自分でも制御できないほどの、何年かぶりのハイテンション。
こんな画家が日本にいたなんて!
写真家としてこれから自分がとるべき方向を、この上田泰江というほとんど世に知られていない91歳の現役画家のおばあさんに、より明確に指し示してもらったように感じました。
今回の展覧会にあわせてつくられた画集を見ながら、未だ興奮冷めやらぬ私です。(六田知弘)

 

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2021.10.15 見えないものを見るということ
見えないものを見るということ

13日から写真展『アメツチアキツ』が始まりました。初日は開館の10時からひっきりなしにお客様においでいただき、結局昼食も摂りそこねてしまったほどです。(笑)有難いことです。

そのしょっぱなに来てくれたのが鍼治療師とも先生と、彼に付き添って来てくれた二人の女性です。とも先生は全盲です。彼には知人から紹介されて、数ヶ月前から鍼治療をしてもらっているのですが、その軽く手のひらで体を触るだけで全身の状態を判断し、たった2本の鍼を打つだけで本当に蘇るようになる的確な治療に、そしてそれとともにまだ30代とは思えない、老賢者のような世界観と洞察力にいつも感心されられています。

前回の治療の時に、今度写真展をすることを話したら、是非行きますと言ってくれました。しかしその時は、写真展に来てもらっても目が見えないのにどうするのかと、結構訝しく思ったというのが正直なところです。

さて写真の前に立ったともさんは、どのように写真を「見た」のか。まず、付き添いの人に腕を持ってもらって作品の額縁の四方を指先で触ってそのサイズをみて、それから、ここにはどういうものがどのように写っているのかを、私や付き添いの人が彼の手をとって写真の上にかざしながらが説明します。そうするとともさんはすぐにその写真にに反応して、うーん、うーんと言いながら、舐めるようにというか触るようにというか、一点一点、じっくりと時間をかけて作品に向き合っていきます。これこそ正に「鑑賞」だと思うほどです。手のひらと少し写真の方に傾けた顔の皮膚を通して、作品が発する見えない信号を鋭敏に感知して、それを我々とは違う回路を通して脳の中で視覚化しているのでしょうか。出展作品が全部で28点なのですが、全てを一通り見終えるまでにかかった時間がなんと2時間半。それにお付き合いした私は、もうへとへとになってしまいました(笑)。
そして、ともさんがいうには、「それぞれの写真から強い「気」が放たれているのを感じます。あの壁面の何番目の何々の写真と、何番目の何々の写真と、端から何番目の何々の写真を除いては・・・。」一瞬私の呼吸が止まりました。

そう言われれば、確かにそうかも・・・。まるで老師さまに課題を突きつけられたみたいです。
展覧会の期間中、その意味を、そしてものを見るというのはどういうことなのか、同時開催の特別展「浦上玉堂」の作品も眺めながら、じっくり考えてみようと思います。(六田知弘)

 

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2021.10.08 東京での写真展「アメツチアキツ」
東京での写真展「アメツチアキツ」

今やっと金沢行きの新幹線に乗ったところです。
今日から金沢のアート玄羅での写真展「シトーの光」が始まります。

それにしても昨夜の震度5強〜5弱の地震くらいでこんなに混乱するとは。ネットで最初に予約した列車には途中の路線が不通のため乗れず、予約を変更して大きく迂回するしかなかったのですが、こちらも乗り継ぎの電車の遅延で新幹線に間に合うかハラハラでした。

それはさておき、今回の金沢での写真展と重なったのですが、もう一つの個展「アメツチアキツ」を10月13日から11月13日まで開催します。会場は東京東中野の東京黎明アートルームです。
金沢のものはフランスで撮ったものですが、こちらは大和を中心にした日本国内で撮ったもの。
この展覧会は特別展「浦上玉堂」に付属したこじんまりとしたスペースでの展示(29点)ですが、何せ浦上玉堂という大きな影響を受けた憧れの画家の作品に囲まれての展示なので、テーマについても作品の選定や構成についてもうんと悩みました。が、何とか形はできたように思っています。
玉堂の作品を見た人の目に、さて私の写真がどう映るのか。恐ろしくもあり、楽しみでもあり、です。
みなさんのご来場をお待ちしております。(六田知弘)

 

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2021.10.01 金沢での写真展「シトーの光」
金沢での写真展「シトーの光」

8日(金)から26日(火)まで金沢駅前のギャラリー アート玄羅で 写真家 六田知弘展「シトーの光」を開催します。
「シトーの光」をまとめて見ていただくのはほんとうに久しぶりです。
シトーというのは、カトリックの中でも非常にストイックな修道生活で知られるシトー会のことで、中世ロマネスク時代に建てられたシトー会修道院を巡り歩いて撮ったものです。
ー澄み通った闇の中、差し入る光は微かにゆすれ、波動は身体に染み入って石との間で共振するー

会場には10月8、9、10日の3日間在廊する予定です。(六田知弘)

 

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2021.09.24 鹿の角・骨
鹿の角・骨

先日、鹿の角や骨を使う作品で知られる彫刻家の橋本雅也さんがその素材を採りに信州の山に行くというので一緒に連れて行ってもらいました。
車を降りて、林道からほど近い山の窪みの低木の林の中を歩いていると空気はこれ以上ないほど爽やかで、スコットランドの森の中を石を探して彷徨っていた時のことを思い出します。
先を歩いていた橋本さんが、ほら、ここに鹿の顎骨がありますよ。ここには小さいけれど角のある牡鹿の頭骨が、、、。そこ此処にいくつもの鹿の骨が散在して、木漏れ日を受けて白く輝いています。
私はそれを一つずつカメラで撮っていったのですが、撮っているうちに、頭にふとある思いが強く湧き上がってきました。「ああ、自分もこんなところで死んでいきたい!」
そんなことを思いながら、最後にめぐりあったのがこの見事なオス鹿の頭部です。その凛々しく、威厳に満ちた姿を見た時は二人ともしばらく沈黙し、私はただ黙々とシャッターを押し続けるだけしかありませんでした。

ここへ来る車中で橋本さんが、「自分を何かの動物に例えるなら六田さんは何ですか?自分自身は鹿だと思っているのですけれど」と私に聞いてきました。私はそんなことを普段考えた事がなかったのですぐには思いつかなかったのですが、橋本さんが自分は鹿だと言ったのには結構納得がいきました。
彼が鹿だとすると、彼の鹿の角や骨を彫って作る作品制作は、まさに自分自身を彫っているという事と言えるしょう。なんとも羨ましい、嫉妬すら感じてしまう言葉でした。
因みに、橋本さんが、私を例えるとしたらタカなどの猛禽類でしょう。と言うのですが、それは嬉しいですけれど、ちょっと慰めにも聞こえてしまい、もし猛禽類としても、タカなどではなくてトンビくらいでしょうか(笑)。(六田知弘)

 

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2021.09.17 椿の実
椿の実

種蒔きが遅れたせいか、アサガオが9月も半ばになって一気に咲きました。その日は一株に15程も花がついたでしょうか。次の日は2つしか咲かなかったですが…。
その朝顔の隣にはツバキが4〜5センチほどの球形の実をいくつもつけていました。まだ緑のものや緑に紅色が混じったもの、そして茶色になって既に実が弾けて中から黒い種が顔を出しているものなど様々です。
その中からほとんど茶色になっているけれど紅色がかすかに残っているものをひとつもぎって掌に載せてみるとその形と艶と色あいになんとも言えず惹きつけられました。光悦の赤楽茶碗を彷彿とさせる渋さと艶やかさをあわせ持っているように思えます。
それを下駄箱の上に置いて、翌日見てみると球形の実に十字にヒビが入り、それから日毎に裂けが大きくなってきて、もぎってから4日目には写真のように大きく開いて中から黒い種が今にもこぼれ落ちそうです。
マットに近い微妙な艶を持ち、微かな茶色を含んだ黒色の種は、こんどは長次郎の黒楽茶碗を思い浮かべます。
長次郎も光悦もこうした自然が作りだす美をお手本に、自らの美を作りだしたのに違いない、そういうふうに思います。(六田知弘)

 

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2021.09.10 クマゼミの目
クマゼミの目

先日、父の法事があり、それと一緒に施設に入っている母にも会ってきました。
駅まで戻る途中の公園の片隅にクマゼミが仰向けになって落ちていました。手に取るとまだ生きていて足を動かすのですが、鳴くことがないのでメスだろうと腹を見ると、やはり発声器官の腹弁がなかったのでメスに間違いありません。多分ちょっと前に産卵を終えて、いま命が尽きる間際なのでしょう。
掌にのせるとそれでもモゾモゾと動き出しました。スマホを出してその様子をしばらく撮りました。そして、その画像を拡大して驚きました。
黒光りする兜のようなその頭部の美しいこと!左右の黒い複眼と中心部に三角形を作る銅色の単眼のきらめき。そして、溝の部分に生えた金色の繊毛の艶やかさ。思わずスマホの画面に見入ってしまいました。(肉眼では、特に老眼の進んだ目には実物の細部が見えないのが残念ですが、、、。)(六田知弘)

 

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2021.09.03 カマキリの抜け殻
カマキリの抜け殻

高幡不動の裏山を歩いていたらコケの上にカマキリの抜け殻があるのを見つけました。毎年の様に夏の終わりから秋頃にこの山道で見かけます。そして見つけたらいつも手元のカメラでそれを撮っています。その造形にどこかそそられるところがあります。
カマキリは普通、春に成虫と同じ姿で孵化してから何度か脱皮を繰り返しながら大きくなって秋に交尾産卵を終えて約半年間の地上での一生を終えます。
その成長の過程の、あるいはこの世に存在したというシルシの様なものがこの抜け殻ともいえるのでしょうが、なんだか自分が撮ってきた写真のネガを見ているような感じがしないこともありません。もっとも今はデジタルとなってネガとか言ってもピンと来る人も随分少なくなったでしょうけれど。(六田知弘)

 

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2021.08.27 フェンスの絵
フェンスの絵

私の自宅は東京の多摩動物公園から歩いて行ける距離にあり、夕方になるとカメラを持って丘陵にある動物公園の周辺を歩きます。
コナラの林を縫うように細い山道が動物園の周り巡っていて、その動物園側を網と金属板を貼ったフェンスが囲っています。向こう側から時々ライオンかトラかはわからないのですが地響きのような猛獣の声やサルや猛禽類の鳴き声が聞こえてくることもあります。
フェンスに貼られた金属板はもちろん、動物が外に逃げないように張ってあるわけではなく、タヌキやハクビシンなど外部にいる動物が動物園側に入ってこないように設置されているようです。
金属板には元々深い茶色の塗料が塗られているようですが、表面には苔が生えたり、ナメクジがその苔を食べながら這った痕や蔦の付着根の痕がついていたり、赤いペンキで矢印にようなものが描かれていたりと複雑な色合いになっています。そこに夕方の木漏れ日があたってゆらいでいたりすると尚更不思議な文様と色合いになります。なんだかパウル クレーの絵のようで、フェンスに向かって日が当たらなくなるまでシャッターを押し続けることもしばしばです。(六田知弘)

 

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2021.08.20 雨上がりの水溜まり
雨上がりの水溜まり

降ったり止んだりするなか、吉野の玄関口に位置する下市町を半日歩きました。下市というと私の祖母の実家のあるところで、小さな頃はよく父に連れて行ってもらいました。だいぶ記憶も曖昧になっていますが、細くて急な坂道を上り切ったところにある古い建物で、玄関を入ると、ひんやりとした土間があり、奥の裸電球のついた座敷へのあがり口には珪化木の踏み台がありました。その珪化木に片足をかけてふと玄関のほうに振り向いたときに目に入った外光の明るく白い束が、たたき(土間)に反射して眩しく輝いている光景が今も目の奥に残っています。
Googleマップをたよりにその場所に行ってみました。が、予想していたようにすでにその家は建て替えられていて、辺りも一変。表札に記された苗字に此処だと頭に認識させるしかありませんでした。
雨上がりの水溜まりに空と山の端が映り込み、そこを白い飛行機雲が分断するかの様に伸びていきました。(六田知弘)

 

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2021.08.13 川越の氷川神社
川越の氷川神社

先日、猛暑の中、息子と二人で埼玉県川越市にある氷川神社の本殿の撮影をしてきました。今回が2回目の撮影です。
氷川神社には一、二度行ったことはあるのですが、恥ずかしながら彫刻の施された本殿の存在すら知りませんでした。撮影依頼を受けた時にも、実のところ、江戸末期のものかと、自分の中にちょっと見くびったところもあったことは否定できません。しかし、実際にこの目でそれにはじめて触れた時、正直、圧倒されて言葉もでませんでした。こんな凄いものがこんなところにあったのか!!
本殿の外壁や軒先などを埋め尽くす木のレリーフは、彩色がほとんどないのが特徴の江戸彫りの名工 嶋村源蔵 の手によるものとのことですが、その精緻さには舌を巻いてしまいます。そして、それ以上に、なんというか彫刻から放出される「凄み」のようなものを強く感じます。この凄みは当然、これを彫った人の魂から湧き出てくるものでしょう。私にそれをどこまで写し取ることができるのかわかりませんが、その存在を人々に知ってもらいたい。本当にそう思います。(六田知弘)

 

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2021.08.06 水の都 大阪
水の都 大阪

昨日、用があって大阪に日帰りで行ってきました。
コロナの新規感染者が東京で5000人、大阪で1000人を越えるなか、人混みを避けて用心しながら行動したつもりなのですが、、。いつまでこんなのが続くのでしょうか、、。
大阪も東京と同じく焼ける様な暑さでしたが、中之島の川沿いを歩いたらちょうどビルの影になったところが続いていて、幾分涼しさを感じました。
川面を見ると、太陽光を壁面に思いっきり受けた対岸のビルが映っていました。そこをスマホで撮るとまるで抽象絵画の様。それでも東京とはどこか違う、なんとも大阪的な感じがそこはかとなく漂ってくるのは何故でしょう?(六田知弘)

 

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2021.07.30 高幡不動の蓮
高幡不動の蓮

昨日発表された東京での一日の新規新型コロナ感染者数3800人余、全国で一万人超えの報道に、予想はしていたものの「爆発的感染拡大」が現実になって愕然としています。
それなのに政府の動きは全て後手後手で、不要不急の外出取りやめを国民に要請するだけで打つ手はなにもない。決め手とされるワクチン接種を呼びかけながらその供給もままならない。我々は(特に飲食店やフリーランスは収入も激減し、十分な補償も得られない)これからどうやって生きて行けばいいのでしょうか?この国のリーダーたちの無能ぶりに怒りを通り越してただ呆れてしまうばかりです。
まだしばらくはこんな我慢の日々が続くのでしょうが、その中でさてどうやって生きていくのか。自分自身に問いながら、今やるべき事、今しかやれない事を焦らず、諦めずにやるしかないと、ちょっと単純ですが、オリンピックを見ながらそう考えました。

高幡不動尊の境内では、蓮の花が風に吹かれて揺れていました。どこからか般若心経の一節「色即是空 空即是色・・・」という声が聞こえてくる様にも感じました。(六田知弘)

 

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2021.07.21 玄関先で
玄関先で

先日夕方から撮影に出て、夜8時頃に吉野の仕事場に戻ってきたら玄関ドアのノブの横の壁に真っ黒なでかいクワガタが。一瞬、近所の子どもがイタズラでオモチャをくっつけたのかと思ったのですが、一息おいて、スマホで撮っているうちにこれはどうやらホンモノのヒラタクワガタだという確信を持ちました。手で押さえると大きな大アゴと足を動かします。久しぶりです、指先に伝わるこの感触は!
子供の頃は夏休みになると2日に一回はカブトやゲンジ(=クワガタムシ)を取りに葛城山や近所の雑木林に行って、夜店の虫屋さんに売りにいくほど大量に採ったものです。でもこんな大きなヒラタクワガタを採った記憶はありません。(ノコギリクワなら役行者の生誕所とされる吉祥草寺の近くにあったクヌギ林で7、5センチほどのやつを取った記憶はありますが。)
なんだか子どもにかえったみたいで早速次の日に100円ショップで飼育グッズを買ってきました。ヒラタクワガタは冬越をするので、しばらく飼ってみようと思います。
今晩は久しぶりにゲンジとりに行こうかな(笑)(六田知弘)

 

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2021.07.16 三輪山 そして 吉野
三輪山 そして 吉野

今、吉野の仕事場に来ています。
昨日は三輪山(大神神社)にお参りし、コロナ禍で山には登れませんでしたが、3〜4時間、写真を撮りながらその周りを巡り歩きました。
三輪山(みわさん)は私にとっては子供の頃からの最も近しい神社です。
10年ほど前ですが、神社の中心には何もない、ただ「空」なのだ、と知った時がありました。大神神社の拝殿の真ん中を渡る風でそのことをふいに確信を持って感じたのです。磐座も鏡も何もない、空っぽこそが中心で、それこそ本当のご身体なのでは。そう思ったのです。空っぽの中心から吹いてくる、あるいはその上を通り抜けてくる「宇宙からの風?」が私を浄め、蘇らせてくれるように感じます。
午後には一月ぶりに吉野の仕事場に来て、ちょっとだけ昼寝をしてから周辺を歩きました。日没寸前の光を受けた吉野川の流れと向こうに見える金剛山のシルエットを涼しい風に吹かれて眺めているとコロナ禍で疲れた心が安まり、その夜は久しぶりに朝まで起きることもなく気持ちよく眠ることができました。(六田知弘)

 

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2021.07.09 『二人の天使』『枯れた葡萄』
『二人の天使』『枯れた葡萄』

18年ほど前の写真展で初めてお会いして、それ以来、毎回のように写真展においでくださっている方のご自宅に伺いました。
玄関のドアを開いた瞬間に目に飛び込んできたのが、壁にかけられたこの天使の格好をした二人の少年の写真と大理石の板の上に載った葡萄の写真です。30代の頃にイタリアの小さな村で撮った「ポリの肖像」シリーズの中の二点です。
なんだか街角でしばらく会っていなかった自分の分身にふいに出くわしたような奇妙な心持ちがしました。(六田知弘)

 

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2021.07.02 あめんぼ
あめんぼ

先日の夕暮れ時、近所の林の中の水溜りを覗いてみると、アメンボが一、ニ匹、水面に綺麗な波紋を描いていました。カメラを出して水面に向けてシャッターをしばらく押し続けていたら、いつのまにか水面の輪の数がどんどん増えてきて、えらく沢山のアメンボが寄ってきたなと思ったのですが、それは空から降ってきた雨が作る波紋。
雨が作る波紋と同じものを作るから「雨んぼ(あめんぼ)」というのかとふと考えましたが、いやいやそうじゃない「触ると飴のような甘い匂いを出すからアメンボ(つまり飴んぼ)というんだよ」と小学生だった息子に教えられた事を思い出しました。
でもどんどん増え続ける波紋に向かってシャッターを押しているとなんだか宇宙の景色を見ているようにも思ってしまいます。あの虫の名は「天んぼ(あめんぼ)」から来たのだと、こじつけ新説も浮かんできました。(六田知弘)

 

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2021.06.25 東松照明「太陽の鉛筆」、立花隆さん
東松照明「太陽の鉛筆」、立花隆さん

行方不明だった東松照明の写真集「太陽の鉛筆」が知人から20年以上ぶりに戻ってきました。とっても嬉しいです。
この写真集は私を写真という道に導いた張本人のうちの一冊です。
土門拳の「室生寺」、東松照明の「日本」、そして同じく東松照明のこの「太陽の鉛筆」です。この3冊に出会わなかったら今は、全く違う人生を送っていたに違いありません。
久しぶりにページをめくったら、ジュワーっと音をたてて脳内ホルモン ドーパミンが噴出してきました。あー、たまりません。
東松さんが「写真というヤクザな道に君を導いたのは俺じゃないからね、へっ、へっ、へっ」と笑いながら私に言ったその表情が蘇ります。
脳内物質といえば先日亡くなった事が報道された立花隆さんの事を思い出します。もう30年以上も前になりますが立花さんは「科学朝日」という雑誌で脳科学の最前線を取材する連載をされていたのですが、その時の写真を連載の途中から私が担当していました。ある研究所での取材のとき、サルの脳に電極を刺して、刺激を与えてそのときの反応を調べるという実験があったのですが、その様子を私がサルにライトを当てて撮っていたら、横から立花さんが、「サルが可哀想だから早く撮影を切り上げて」と私に言ったその時の声を思い出します。

お二人とももうこの世ではお会いする事ができませんが、感謝、感謝です。(六田知弘)

 

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2021.06.18 タマムシの羽 玉虫厨子
タマムシの羽 玉虫厨子

夕暮れ時、近くの丘陵の山道を歩いていたら足元にタマムシの羽が一枚落ちていました。もう暗くなりかかっていたのですが、その羽は光を集めて虹色に輝いでいました。羽が一枚だけ落ちているということは空中で鳥などに食べられてしまったのでしょうか。キラキラと輝きながら空から舞い落ちてくるタマムシの羽はどんなだったのか、、、。
タマムシといえば先週、奈良国立博物館で「玉虫厨子」を見ました。開催中の「聖徳太子と法隆寺」展での展示でしたが、スポットライトに輝く厨子の透かし金具の下に辛うじて残ったタマムシの羽の輝きはなんとも不思議な感じがしました。千三百年も経ってもタマムシの虹彩がこれだけ色褪せることなく残っているというのはちょっと信じられない感じです。
それにしても厨子の側面に描かれた釈迦の前世の物語、特に「捨身餌虎」はなんとも言えない魅力を讃えています。見ていると「捨身」ならぬ「写真」を撮りたいという欲望がムラムラと湧き出てきまてたまりません。金堂の多聞天や広目天も手で触れらてるほどの距離で見ているとその衣紋から伝わる波動に私の脳波がシンクロして、ジリジリと痺れてきて、それがその日いっぱい続いて眠れなかったり、、、。 ああ、撮りたい。(六田知弘)

 

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2021.06.11 アカンサスの花
アカンサスの花

東京に戻ってきたら庭にアカンサスの花が咲いていました。
もう10年以上も前にフランス文化の研究者の方にいただいた株なのですが、大した世話もしていないのに毎年綺麗に咲いてくれます。
アカンサスは私が撮り続けていたロマネスクの教会や修道院などの柱頭にその葉がよく彫刻されていて、私にとってはアカンサス イコール ロマネスクなのですが、考えてみると遠く古代ギリシャの円柱の柱頭にも彫刻されていて、西洋では古くから最も親しまれてきた植物の一つなのでしょう。

ああ、早くまた、ヨーロッパに撮影に行けるようになってほしい!
アカンサスは私のこころをムズムズさせるマタタビみたいな存在なのかもしれません。猫にマタタビ、六田にアカンサス(笑)。(六田知弘)

 

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2021.06.04 龍瀧
龍瀧

先日、奈良県中東部に位置する東吉野村に行きました。
その最も東の三重県との県境近くにある七瀧八壺という渓流を目指して行ったのですが、その手前に鎮座する丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)にお参りしたところ、拝殿の賽銭箱の横に直径5cmほどの陶製の球が供物台の上に十個ほど載っていました。説明書きには、この玉に開けられた穴に祈願ごとを念じながら3回息を吹き入れて、近くにある東瀧(龍瀧とも呼ばれる)に投げ込むと願いがかなう、とありました。早速一個いただいて、神社の前を流れる川の対岸にある東瀧にいって、願いをこめて息を吹き入れ、滝の水が落下して白い水しぶきが立ち上がるところをめがけて玉を投げ入れました。ストライク! そんな声が瀧の音に混じってどこかから聞こえてきたと勘違いするほどど真ん中に命中。嬉しくなってカメラのズームレンズを望遠いっぱいにして、水の落下点に向けてシャッターを何回か切りました。そうしているうちになんと今まで梅雨のどんよりとした天気だったのに、いきなり、白い水しぶきにスポットライトのように陽が当たり、白銀色に輝きだしました。思わずシャッターを連続して押し続けました。そして、このトピックス用にスマホに切り替えて撮ったのがこの写真です。
この輝きが滝壺に棲むという龍が珠(ドラゴンボール)を受け取って、目覚めてくれたシルシなのだとしたらうれしいのですけれど・・・。(六田知弘)

 

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2021.05.28 皆既月食
皆既月食

26日はスーパームーンの皆既月食という事で、夜8時半頃から近くの広場に出て南西の空を眺めていました。
広場には二組ほどの親子連れも先に来ていましたが、私が住む東京の日野市は夕方からあいにくの曇り空。雲が西から東に流れているのでそれが切れたら地球の影に隠れた赤い月が微かにでも見えるかなと待っていたのですが厚い雲が切れても薄雲がかかっていて、親子連れはついに諦めて帰ってしまいました。
それから10分ほど後、空に仄かな点が見えたのでもしかしたらあれが月かと思い2、3回ほどシャッターをきった後、一度家に帰って出直す事にしました。
それから30分ほど後、玄関先から見上げた空に一点のオレンジ色の光の塊。雲に隠れて全体の形は分かりませんが、月に間違いありません。慌てて望遠レンズを付けたカメラを持って外に出ました。
厚い雲の切れ目から地球の影を背負った月が虚空にその姿を見せたのはほんの5分間ほど。天岩戸に隠れたアマテラスのように、あっという間にまたもや厚い雲に身を隠してしまいました。(いやアマテラスは太陽神なので違いますね。雰囲気的には虚空蔵菩薩でしょうか。)
さて、あの親子連れはあの姿を見ることはできたのでしょうか。(六田知弘)

 

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2021.05.21 アテネで買った古い写真 その2
アテネで買った古い写真 その2

前々回で昔にアテネの蚤の市で買った古い写真について書きましたが、今回はその続きにします。なんだか写真に写っている男の子が出たがっているように思えますので・・・。
年齢は10歳くらいでしょうか?何かの記念日に撮ったものでしょう。右手に鉄砲を持ち、軍服のような出で立ちでかしこまって写っています。もちろん軍服も鉄砲も子供の儀式用のものでしょう。この写真はいつ頃撮られたものなのか、ギリシアあたりでは現代もこういう格好で記念写真を撮ることがあるのかどうかわかりませんが、イニシエーションというか人生にとってのある種の節目の時なのでしょう。
カメラを向いた少年の目が、まるで時空を超えて自らがそこから出てきたタイムカプセルの扉を不思議な気持ちで見つめているかのように、揺らいでいます。
この目はどこかで見たことがある。そう思って遠い記憶をたどっていくと、母が子供の頃に写真館で撮った何かの時の記念写真にいき当たりました。少女であった母もこのギリシアの少年と同じような目をしてカメラに写っていました。(もっともその母のアルバムを見たのは私が子供だったころなので、記憶自体が相当曖昧なのですが・・・。)
さて、こんな目をして写った写真が私のアルバムの中にあったかどうか、そして私が撮った写真の中にこういうものがあるのかどうか、時間のある時に探してみようと思います。(六田知弘)(六田知弘)

 

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2021.05.14 古染の皿
古染の皿

先週に続いて古いものについてですが、枕元にある戸棚の引き出しを開けたら縦笛を吹く居士の絵が描かれた古染付の皿が出てきました。もう20年以上前に青山の骨董屋さんで安価で買ったものですが、これを手に取るのは何年ぶりでしょうか。
窓際の畳の上に置いてみたらなんとも懐かしい気分になりました。決して冷たくない柔らかい白地の真ん中にコバルトで小さく描かれた座して笛を奏でる居士の姿をみていると、そこからピーヒョロヒョロと笛の音が響いてくるような。暗い引き出しから出されて久しぶりに光を受けて居士がうれしくなって奏でてくれたのでしょう。
もちろんこれは私の気分の投影にすぎないのでしょうけれど・・・。(六田知弘)

 

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2021.05.07 アテネで買った古い写真
アテネで買った古い写真

もう35年以上になると思いますが、アテネの街角の骨董市で、プライベートのアルバムからはずしたと思われる古い家族写真や記念写真を見つけ、十数枚を千円ほどで買ったことがあります。帰国後それらを一つの額に入れて、タンスの上に飾っていたのですが、いつごろからか額の前にいろんなものを置いて隠れてしまい、長い間それがあることをほとんど忘れていたのですが、先日ふとしたことで目について、久しぶりに見てみると、なんとも心惹かれてしまいました。

ここに添付したのはそのうちの一枚です。ギリシャかその周辺のバルカンのどこかの地域で撮られたものでしょうか。全身黒い服で身を包んで(今はどうかわかりませんが、ギリシャあたりでは、未亡人になったらそのまま一生黒い服を着続ける風習があったようです。)椅子に座った老女とその横に立つよそ行きらしき服を着た短髪の少年が木のようなものが描かれた土塀の前でカメラに向かっています。おばあちゃんと孫息子なのでしょうか。少年は老婆の肩に片腕をのせてポーズをとっています。それにしても二人の風貌はなんと濃いことか・・・。
この写真が撮られたのはいつ頃でしょうか?私がこれを買ってからでも35年以上になるのだから70年、いやもしかしたら100年近く前に撮られたものかもしれません。そうすると写っている二人とも、おそらくもうこの世には存在しないでしょう。
それでもその影とも言える写真は強い存在感を持って迫ってきます。なぜそうなのか、その分析は他の人にお任せすることにして、私は、そうした機能を持つ写真術というものの虜になってしまっているのかもしれません。
この写真を見ていると、明治時代の写真家 小川一真が撮った無著像や月光菩薩像の写真を思い浮かべます。
写真というものは単なる記録の道具としてだけではなく、ものの「存在」ということを炙り出すような、本当は恐ろしい機能をもったものでもあるように思うのですが・・・。いかがでしょう。(六田知弘)

 

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2021.04.30 若葉して御目の雫・・・
若葉して御目の雫・・・

東京は昨日の雨模様から一変して今日は爽やかな快晴。駅近くで買い物をしてから高幡不動の裏山を歩いて戻る途中、若葉の間から揺らぎながら漏れ来る光のなかを二羽のキジバトがひょこひょこと歩いていました。この前も私の前を歩いていた同じ二羽なのでしょう。

若葉して御目の雫ぬぐはばや

唐招提寺にある鑑真和上像を詠んだ芭蕉の句が頭に浮かびました。
そして、若葉の季節に唐招提寺の金堂内の仏像を自然光のもとで撮りたいものだと思いました。(六田知弘)

 

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2021.04.23 牡丹の花
牡丹の花

今、奈良の二上山の麓にある石光寺に来ています。牡丹の花は今年は桜と同じく例年より早く、すでに終わりがけとのこと。それでも大輪の花があちこちに残っていてなかなか見事です。

今日は、ご住職に無理を言って、お堂の裏側にある萎れて切り取った花を捨ててある場所に連れて行っていただき、そこで山と積まれた牡丹の亡骸を撮らせていただきました。ご住職は、なんでこんなのを撮るのかわからん、わからんと訝しんでおられましたが、私としてもその説明などできるはずはありません。それでも1時間ほどほおっておいていただき気が済むまで撮る事ができました。有難いことです。
明日、施設に入っている母に会いにいきます。窓越しの面会ですが、さて今回は般若心経を唱えてくれるでしょうか。(六田知弘)

 

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2021.04.16 ハナミズキ
ハナミズキ

やっとのことで、確定申告を終えました。毎年そうなのですが、申告書を書くこと自体は一日か二日あればすむのですが、その作業に入るまでの時間が、私のような事務的な仕事が大の苦手で、めんどうくさがり屋にはかなりのストレスなのです。先日それをなんとか書き終えて、自宅から5キロほどのところにある税務署まで気晴らしに歩いて行って提出してきました。

その途中の道の両側にはハナミズキが白と赤、交互に植えられていて、今は、満開の花を咲かせています。低い空を背景に明るく淡い花びらが風にゆれていました。そういえば一昨年のちょうど今頃、奈良の施設にいる母に会いに行ったのを思い出しました。駅から施設までの道筋にハナミズキの花が満開でした。今年もそろそろ行きたいですが・・・。
ところで、私の息子が5年間勤めていた会社を辞めて、三月末からフリーのカメラマンとなりました。コロナのご時世で普段より尚一層容易ではありませんが、自ら選んだ生き方、なんとか自分なりの道を切り拓いていってもらいたいものです。(六田知弘)

 

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2021.04.09 トガリアミガサタケ
トガリアミガサタケ

先日自宅の庭に落ちた椿の花の写真を撮っていた時、木の傍(ここには息子が小さい時に飼っていたマタマタやニホンザリガニやサンショウウオ、そしてハイギョやアロワナなど古代魚などの様々な水生動物の亡骸が埋めてあります。)で一風変わったキノコを見つけました。子供の頃に図鑑で見たことがあるのですが、名前は思い出せません。ネットで春のキノコを調べてみると、ありました。「トガリアミガザタケ」。なるほど尖った網笠に見えます。
最近、こうした葉緑素を持たないキノコやカビなどの菌類や、動物と植物の境界線上にあるような変形菌などのアメーバの仲間など、人間の普段の意識や常識の外にあるような生き物の世界を覗いてみたいという気持ちが強くなってきました。子供の頃は、顕微鏡でプランクトンをよく覗いて、肉眼では見えないその形や動きに心躍らせながらながら観察ノートをつけていたものです。

今、私は全く偶然にヒトという形でここに存在しているのですが、それも宇宙の時間からすると一瞬とも言えないほどの短い現象でしかなく、またバラバラの無数の原子となって、その原子が他の原子と偶然にも結びつき、別の様々な現象となって現れる。それが、まさに無限の広がりを持って繰り返され、繰り広げられる。今度はもしかしたらこのトガリアミガサタケとして生まれかわるのかも、粘菌のひとつとして現れるのかも、宇宙の微塵として現れるのかも、どうなるのかは知りません。
そんなことをコロナ禍の閉塞感によるボケた頭で考えながら写真を撮り続けているこの頃です。(六田知弘)

 

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2021.04.02 大きな椿とスッポンの目覚め
大きな椿とスッポンの目覚め

津久井の友人の家の庭に、広げた掌ほどもある大きな椿の花がいくつも落ちていて、その上に桜の花びらが散っていました。写真をたくさん撮りました。撮っている間も、ときおりボトリと重い音をたてていくつかの塊が落ちてきました。

自宅の軒下の水槽にいるスッポンが冬眠から覚めました。20才以上の高齢?ですが、今年も澄んだ瞳をしています。
コロナ禍による閉塞感はもちろんあるのですが、なんとなくではありますが、新しい時代が始まったような気がします。(六田知弘)

 

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2021.03.26 ツバキの花
ツバキの花

東京のギャラリーでの写真展「時のイコン 2021」も今日が最終日。このご時世ですのでおいでいただいた方はそれほど多くはありませんが、お一人おひとりが時間をかけてじっくりと一つずつの写真、あるいは写されたモノと向き合っていただけたように思います。それこそ私の本望、嬉しいかぎりです。

今日は朝からえらく暖かく、ちょっと歩くと汗ばむほどで、高幡不動の裏山のヤマザクラも七分咲。白いコブシの花もほとんど満開。山道のあちこちには真っ赤なツバキの花が固まって落ちていて、花を踏まずに歩くのは難しいほど。地面一面に広がり落ちた椿の花が木漏れ日の中で揺らいでいるのを見ると、ああ、また一年が経ったのだと毎年のように思います。
さてこれからの一年どういう時になるのでしょうか。まだしばらくはコロナで不自由を強いられる事でしょうが、ジタバタしないで自分の今やるべきことを淡々とやっていければと思っています。(六田知弘)

 

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2021.03.19 天の川
天の川

東京での写真展「時のイコン 2021」の期間中ですが、所用で大阪と奈良に行っていました。
途中一日空いたので、吉野の天川(てんかわ)村に撮影に行きました。
天川村を流れる天の川(あまのかわ)は相変わらず澄んでいて、春先の陽光が川底の石をキラキラと輝かせていました。
川岸の林の木々の根っこや地面には、苔の絨毯が広がっています。寺社の境内では苔庭はそれほどめずらしくはないですが、自然の苔庭はそうお目にかかることはありません。(紀伊山脈の大台ヶ原にはかつて原生林の中に絵に描いたような自然の苔が一面に広がっているところが何ヶ所かあったのですが、行楽客を入れすぎて環境変化をもたらしたためか、鹿による食害によるものなのか、去年行ったら苔はほとんど無くなっていて愕然としました。)
天の川沿いの苔の中でも特に目をひいたのがこの苔です。名前はわかりませんが、緑の毛糸で作ったようななんとも言えないふわふわ感。そっと触ってみると乾いているけどうっすらと温かみのある、懐かしい、まるで近くの丹生川上神社下社にいる神馬の体に触れているようなうれしい感触でした。
そしてそこから少し下流に歩いたところで川の対岸を撮ったのがもう一つの写真です。未だ裸の木々の小枝が光を浴びて白く閃光のように輝いて見えました。
あと一週間もすればその枝々にも柔らかい新芽が吹いてくるのでしょう。(六田知弘)

 

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2021.03.12 写真展「時のイコン2021」
写真展「時のイコン2021」

3月1日からの金沢での写真展「時のイコン」につづいて、東日本大震災からちょうど10年となる昨日3月11日から東京の√Kというギャラリーで「時のイコン 2021」が始まりました。こちらは結構広いスペースなのでちょっと思い切った展示をしてみました。
あれから10年。長いようで、短かったようにも思えますが、さてその間で、世の中が、そして私自身がどう変わったのか、どう変わらなかったのか、展示をすることを通して見つめてみたいと思っているのですが、そんなことより、今日オープンした展示をあらためてみて驚いたことに、床や壁や水槽に展示された写真のひとつひとつが、異様なリアリティをもって、まるで蠢いているように見えるではありませんか。
これはどういう事態なのか私にはまだわかりませんが、瓦礫として処分され、この世にはすでに存在しない写されたそれぞれのモノたちが、言葉ではない、何か特殊な、しかし、結構明瞭な信号のようなものをこちらにむけて発しているように思うのです。その信号はいったい何を意味するものなのか、展覧会の期間中になんとか探りあてることができればと思っています。(六田知弘)

 

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2021.03.05 ウミユリの化石
ウミユリの化石

私のパソコンのモニターの上の台にはいくつかの化石や鉱物がのっているのですが、そのなかでも今日はウミユリの化石が目にとまり、手にとってながめています。
実は、4−5日前から左下の奥歯がもう我慢できないほど痛み、歯医者に行って神経をとってもらってやっと歯自体の激しい痛みは無くなったのですが、歯茎などの違和感がいまだに完全には治らず、何事にも集中仕切れない状態でいます。情けない。
でも、こうしてウミユリの化石を掌に載せていじっていると、気のせいか少し、その口中の気持ち悪さが軽減してきたように思われます。なんなんでしょう?
それにしても2億年も3億年も前に生きていた生物の姿が、石と化したとはいえ今ここにあり、自分の掌のなかにあるということの不思議。そして、私という存在にそれがなにかしらの作用を与えているようにも感じられること。単なる思い込みでしかないのかもしれませんが、不思議です。
写真を撮っている時、私は、被写体と私との間に何らかの重なりのようなものを感じるときがあります。いや、感じるというより、そうと認知する以前の状態なのですが、ある原始的な皮膚感覚のようなものかもしれません。私のうちの何パーセントかが被写体の中に入り込み、被写体の一部が私の中に入り込む。そして、お互いの波動が、重なり合い、共鳴する。そんな時に面白い写真が撮れている。そんな気がするのですが、手に載せたウミユリの化石と私とがなにかこれと似たような作用を及ぼしあっているのかもしれないと、ぼんやりと根拠のないことを考えています。

3月1日から、金沢駅前のポルテ金沢で「時のイコン」が始まりました。地元の新聞やテレビなどで紹介されて、ありがたいことに、多くの方々にご覧いただいているようです。また、3月11日からは東京でも「時のイコン 2021」が始まります。
自分と被写体が、どういう作用を及ぼしあったのか、なかったのか、それを十年後の私自身で、あらためて、会場で確認してみようと思っています。(六田知弘)

 

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2021.02.27 「時のイコン」東日本大震災から10年
「時のイコン」東日本大震災から10年

東日本大震災から間もなく10年となります。
それにあわせて金沢と東京で、写真展『時のイコン』をあらためて開催いたします。

先日、東京の会場に展示する大型の作品をプリントをしました。
プリンターからゆっくりと擦り出されてくる、津波にのまれ、地に打ち捨てられたモノたちの姿を見ていて、私にとっては見慣れた写真であるにもかかわらず、結構ドキリとしてしまいました。
それらは既に廃棄され、今はこの世には存在しないのに、こうして形を変えてこの世に再び現れ出てくる。写真だから当たり前のことなのに、何故か私の背筋にはしばらくのあいだ鳥肌が立ち続けていました。
写真というのはコワイものです。

金沢は、3月1日から3月12日まで金沢駅前のギャラリー「玄羅」とそれが入るビル「ポルテ金沢」にて、そして東京は神楽坂にあるギャラリー「√k」にて3月11日から3月26日までです。(六田知弘)

 

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2021.02.19 底冷えの大和
底冷えの大和

今週の奈良は冷えました。特に水曜日は朝から雪が舞い、あっという間に山も畑も雪化粧。北風も時々強く吹き、吹き飛ばされた樹上の雪が私めがけてシャワーのように降り落ちてきます。聞こえてくるのは風にしなる木々の葉擦れと降り落ちる雪の固まりが地面や灌木にあたる音だけ。
そんな天香具山(あまのかぐやま)やヤマトタケルノ尊の白鳥陵などで一人写真を撮っていると頭がくらくらとしてきて、いつしか異次元の世界に迷い込み、戻ってこれなくなるような、、、。アブナイ、アブナイ。(六田知弘)

 

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2021.02.12 ホームの塗料がハゲた柱
ホームの塗料がハゲた柱

3月11日からの「時のイコン 2021」の会場で展示の打ち合わせをした後、毎年東京の中野で開催されているアール・ブリュット展の最終日に行きました。
その作品たちのインパクトで私の脳はすっかりシビれてしまいました。そしてその頭のまま新幹線に乗って、2ヶ月ぶりに奈良に来ました。
橿原の実家に一泊して、翌朝お墓参りに行くために近鉄電車に乗って尺土駅で乗換えのためにホームで御所行きの電車を待っていた時、屋根を支える為の柱が目に入りました。そのハゲたペンキの色と模様が面白く、スマホでパチリ。そしてリュックに入った一眼レフカメラを出してさらに撮ろうとしたところで電車が入ってきました。シャッターを一回押したところで発車のアナウンス。慌てて飛び乗って、チェックをしたら案の定、見事なピンボケ。というわけでここにはスマホで撮ったものを載せました。(六田知弘)

 

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2021.02.05 春一番
春一番

昨日は、春一番が吹きました。
統計を取り始めてから最も早かったのだそうです。
風に煽られながら高幡不動の裏山を歩きました。木々がゴーと音をたてて激しく揺れています。空を見上げながら揺れる様子を写真に撮り続けていると脳みそが分解されてしまう様に感じます。
流石に春一番というだけあって寒くはありません。脇を見ると椿の花も西日を浴びながら揺さぶられています。引き千切られてしまうのじゃないかと見ていたのですが、まだ咲いたばかりの花なのでこれぐらいの風ではもげないのでしょう。
あと1、2ヶ月すると、地面一面に何百という赤い花が落ちるのですが、これを撮るのもまた楽しみです。(六田知弘)

 

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2021.01.29 バベルの塔
バベルの塔

自宅のパソコンのデスクトップピクチャーにはピーテル・ブリューゲルが描いた「バベルの塔」を使っています。
これは、10年近く前にウィーンの美術史美術館で私が撮った写真の画像です。いやー、あのブリューゲルの部屋はすごかった。なにせ子供の頃からの憧れだった「雪の狩人」や「子供の遊戯」や「農民の結婚式」そして「バベルの塔」などブリューゲルのすごい作品12点が一つの部屋にズラッと並んでいるのですから。写真撮影も許されているので、思う存分その部屋で、至福の一日を過ごしました。
それはさておき、この頃、パソコンを立ち上げるときに最初に目にするデスクトップの「バベルの塔」をみて、毎回、ふと頭をよぎることがあります。
この絵は、今の我々の姿を現しているのじゃないだろうか。
いうまでもなく、バベルの塔は旧約聖書の創世記に出てくる話ですが、人々は、神が作った石の代わりにレンガを、漆喰の代わりにアスファルトという技術を生み出し、それを用いて天に届くほどの高い塔をつくろうとする。自分たちの技術によって、天にいる神と同じ高さ、あるいはそれ以上のものを作り出すことができるのだという意識。進歩と発展を追求することだけがすなわちそのまま幸福につながるのだと、なんの疑いもなく信じて生きている。
背後の山野は切り拓かれ、道路や大規模な水道設備などを備えた大都市がすでに形作られ、左手前の丘上にいる塔の建設現場を視察している王やその家来らしき人々の表情は得意げです。しかし塔は、すでに左に傾いている。それに気づかないのか、我々は。(六田知弘)

 

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2021.01.22 鉄隕石
鉄隕石

私が外出時に持って出るバッグのポケットにはいつも小さな隕石がひとつ入っています。20年ほど前からそうしていて、海外に行く時にも忘れません。私にとってはある意味お守りの様なものかもしれません。
大きさは1.5センチ程でとても小さいものなのですが、鉄分が多い、いわゆる鉄隕石あるいは隕鉄と呼ばれる隕石なので手に取るとずっしりと重いです。この重さがまたたまらない。
隕石は宇宙空間にある(何十億年も前にできた)個体物質が地球などの惑星に溶解しながら落下してきたものの残骸ですが、それが私の掌にのっている事の不思議。
宇宙の時間からすると私という存在は一瞬とも言えない無に等しい現象です。それからみるとこの隕石は変化しながらも無限に近いほど長く存在するのでしょうが、それも永遠ではないわけで、私と同じく「宇宙のかけら」でしかないのです。その二つの現象が、この時ここで出会っているという事のフシギ。
掌にのせた隕石をコロコロと転がせていると不思議に心が落ち着くような気がします。(六田知弘)

 

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2021.01.15 玉の魚
玉の魚

年末から、コロナのせいで奈良にも行けずほとんど巣ごもり状態が続いています。毎日のようにパソコンに向かって以前に撮って未整理のままの写真画像のセレクトをしているのですが、自分でも気づいていなかった面白いものが写っていたり、同じ対象でも撮影した時期によって対象に向きあう自分の姿勢が全然ちがうことに気づいたり。これが結構面白い。
ヨーロッパの石の写真や壁の写真、国内で撮った石や水や木の写真、東日本大震災の被災地で撮った写真、そしてカンボジアの遺跡で撮った写真、はたまた北京の胡同の写真・・・。まだまだ埋もれたままのものがいっぱいです。コロナで自由に動きがとれない今は、それらの写真を発掘するための時期だと決めてコツコツと、楽しみながらやっていこうと思っています。
そういう作業をするパソコンの机の上にはごちゃごちゃと色んなものが載っているのですが、最近よく手にとるのが、この魚形の玉です。もう20年も前になりますが、北京の小さな店で安価で買ったもので、真贋も確たることは言えないし、西周時代の本物だとしても市場価値など大したものではないのですが、パソコンに向かって作業しながら指でその表面を触っているとなんとも心が落ち着きます。(六田知弘)

 

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2021.01.08 年末年始
年末年始

あけましておめでとうございます。
コロナの急激な蔓延で、例年とは髄分違う新年となりましたが皆さんどうお過ごしでしょうか。 私は暮れからほとんど巣ごもり状態で東京の自宅で本を読んだり、画集を見たり、未整理の写真を整理したり、こういう時期だからこそできる事をやるしかないと、閉塞感に押しつぶされないようなんとか耐えているのですが、昨日に首都圏でふたたび(非常に中途半端な感じがする)緊急事態宣言が出されるなど、こんな状態がいったいいつまで続くのか・・・。早く、カメラを持ってとびだしたい。
ともあれ、この年末年始に集中的に見たのはゴーギャンとクレーの画集ですが、なんとも言葉に表せないその底知れぬ魅力にグーッと引き込まれておりました。彼らは、(質はそれぞれ違うけれど、)「秘密の泉」の在り処を知っていて、そこから汲み取った水をこちらの世界に運んできて、我々に飲ませてくれる。私も写真でそれをしたいのです。

お互い、コロナはもとより心身の健康に十分気をつけて、また、写真展などでお目にかかれれる日を楽しみにしております。

(3月には、東日本大震災から10年という事で、金沢と東京のギャラリーで『時のイコン』の展覧会をする予定です。)(六田知弘)

 

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