六田知弘

MUDA TOMOHIRO >> Topics 2017

トピックス

写真家・六田知弘の近況 2017

展覧会や出版物、イベントの告知や六田知弘の近況報告を随時掲載していきます(毎週金曜日更新)。

過去のアーカイブ

2017.12.28 良い年をお迎えください。
良い年をお迎えください。

今年もあと数日。私にとってはロマネスクの写真集を出したり、運慶仏を撮ったり、国内外で個展を6回やったりと結構忙しい年でした。みなさん色々とお世話になりました。

還暦になって今までと同じようには身体が動いてくれないのだという事を身にしみて知り、情けなく、悔しい気持ちで焦りも出てきたことは確かです。しかし、こうなったら天に身をまかせてみようと思います。もっと撮らせてもらえるのならそれは天命。撮れなくなってもそれも天命。

年末年始は息子と2人でインドのサンチー仏塔を撮りに行ってきます。

みなさん、来年は良い年となりますように。✿(六田知弘)

 

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2017.12.22 冬の光の中を
冬の光の中を

駅に行くとき、雨の日以外はいつも高幡不動の裏山を歩きます。なのに先日歩いた時はなんだか久しぶりに歩いたような。落ち葉が絨毯のように道を覆って土をすっかり隠しています。昼前にもかかわらず、陽射しが随分低く、もうすっかり冬の景色。道端の藪ではなにか動物がガサガサと動いています。姿は見えなかったけれど多分それはこの辺りに住み着いてしまった外来種のガビチョウでしょう。今までに何度もガビチョウが藪の中を(飛ぶのではなく)歩くのを見たことがありますから。
その光の中を歩いていてなんだか少し奇妙な感覚になってスマホでパチリ。それをその場でモノクロに変換したらその時感じたおかしな感覚がより一層強調されて、自分が現実と非現実の間を彷徨う姿なきガビチョウになってしまったような。(六田知弘)

 

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2017.12.15 葛城山からの富士
葛城山からの富士

大阪の博物館、美術館での2週間に渡る撮影の帰路、思い立ってこの前まで写真展をやっていた静岡県伊豆の国市の知半庵に立ち寄り、トタン板に転写した石の写真を杉の木や竹に結びつけたインスタレーションをしていた裏山にある三つの祠にお礼の挨拶をしてきました。祠の周りに設置していた作品はすでに取り払われていましたが、辺りにはなんとも言えぬ爽やかな空気が満ちていて、こんなところで自分の作品を展示させてもらえたことにあらためて感謝の気持ちが湧いてきました。
そのあと、前から気になっていたおなじ伊豆の国市にある葛城山(かつらぎやま)に登ってみることにしました。
隣の伊豆長岡からロープウェイもあるようなのですが、天気も良かったので、知半庵から歩いて登ることにしました。頂上まで2時間くらいかかったでしょうか、みかん園の間をぬけてのぼるそれほどきつくもないハイキングコースのようなここち良い山道です。
途中富士山が林間から見え隠れしていましたが、たどりついた頂上にある足湯に浸かって見る富士山は、信じられないほどの格別な眺めでした。これが現実の風景なのでしょうか。一眼レフのカメラとスマホの両方でその景色を撮りましたが、スマホで撮ったものをモノクロに変換したものが、ここに載せた写真です。
そのすぐ近くには「葛城神社」という社がありました。看板には「修験道の開祖である役行者の霊場」云々。やっぱり私の故郷の奈良県の御所にある葛城山(かつらぎさん)と関係のある場所でした。役行者は御所の葛城山から伊豆に島流しにあったけれど、毎日のようにその霊力で富士山の周りを飛行していた、という伝説がありますが、ここから富士山を見るとそういう伝説ができたのも頷けます。足湯に浸かりながら写真を撮っていると、まるで自分が富士山に向かって飛んでいくような奇妙な錯覚に襲われるようでしたから。 (六田知弘)

 

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2017.12.08 「ひかりの素足ーシェルパ」あとがきより
「ひかりの素足ーシェルパ」あとがきより

先日終わった写真展「記憶のかけら」の一環としての作家の玄侑宗久さんとのトークイベントのなかで、話しながら自分なりにあらためて確かめることが出来たことがありました。 これまで私が撮ってきた対象は様々だけれど、それを捉える私独特の視線があるとすれば、それは、生まれ育った奈良県の御所で培われ、二十代の頃にヒマラヤのシェルパの村で暮らして写真を撮っていたときに(写真家としての視線の)基本的なものが固まったように思えます。
処女写真集「ひかりの素足—シェルパ」のあとがきの最後に私はこのように記しています。

シェルパの地では、物の輪郭がきわめて鮮明に見える。その質感を、触覚的に感じとることができると思われるほどだ。それは、おそらくその土地の光のせいであろう。そこでは“光”はほとんど粒子となってみえる。粒子は、物にぶつかり、その輪郭を浮き立たせる。そして、それは影をつくり、影は闇を現出させる。あくまでも明瞭な闇が逆に物の輪郭をきわだたせるともいえる。そうした光の拡散と密集のめまぐるしい交錯のせいか、ぼくはしばしば奇妙な眩暈に引き込まれた。カメラを構えて世界を覗き込みながら、なぜかぼくは異世界の入り口にいると感じた。そしてまた、この世界と異なる世界が、境界をおかして随所でこの世界に侵入してくるのを感じた。
ファインダーの中の人やものは、いま確かにぼくの目の前にたたずんでいるのだが、それがつぎの瞬間に、フッとかき消えたとしても、そしてまた、囲炉裏を囲んでチャンを飲んでいる人々のなかに、いまここにいるはずのない人が混ざっていたとしてもそんなに不思議とは感じなかったであろう。
シェルパの人たちは光と闇とを峻別するのではなく光と闇とを、ひとつの全体として受け入れる。ぼくにはこの世界に存るすべての物はそれと表裏をなして存在する異界によってその存在が裏打ちされているように思えてきた。
ぼくが滞在したわずかの間にも、何人かの人が死んでゆき、何人かの子供が生まれた。それは、異界とこの現象の世界をゆききする“ひかり”の明滅のすがたである。そういうふうにぼくには思えた。


これを書いてからすでに三十数年経ちましたが、読み返すと、なんだか昨日書いたばかりのようにも思えます。
自分のやってきた仕事をこうして振り返ることに抵抗感がないわけではないのですが、私も還暦を過ぎました。自らの原点を踏まえた上で、そろそろ新たな創造の地平に立ちたいものだと思っています。(六田知弘)

 

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2017.12.01 大阪より
「大阪より」

5日前から大阪に来ています。あと数日、国立民族学博物館での撮影があり、それに続いて大阪市立東洋陶磁美術館と大阪市立美術館での撮影があります。その間に、静岡県伊豆の国市での個展「記憶のかけら」の最終日を迎えます。久しぶりにタイトなスケジュールですがなんとかこなせることでしょう。
私はあと数日で、61歳。自分がそんな年になったなんて全く信じられないのですが、残された時間、やるべきことを無理しすぎずに自然にまかせてやっていければと思っています。
写そうとするのではなく、ものが発する波動をキャッチする、受信機に徹することこそ、これからの私の生きるかたちだと思うのです。
関西に来る前に、高幡不動の裏山を通りかかかったら、今年も木々が晩秋の光を受けて赤や黄色に輝いていました。季節は巡り、巡ります。(六田知弘)

 

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2017.11.24 「放射能の部屋」
「放射能の部屋」

静岡県伊豆の国市にある古民家「知半庵」で写真展「記憶のかけら」を開催中ですが、先週18日に禅僧で作家の玄侑宗久さんにはるばる福島県三春からおいでいただき、トークショーをやりました。私の写真の根幹的な特質を非常に的確な言葉で言い現していただいたため、嬉しくなって、ついつい調子にのって私も喋りすぎてしまったように思います。実は、喋った内容は、(ぼけてしまったのか)今はよくおぼえていなくて、後でビデオを見て確かめてみようと思うのですが、立ち見がでるほど多く集まってくださった方々の表情を見ていると、玄侑さんとのトークが進むにつれどんどん聞き入ってくださっているのがわかり、やったかいがありました。玄侑さん、そしてお集まりいただいた方々に感謝です。
実は調子に乗って喋りながら、私の視角の片隅に入るあるものが微かにですが気になり続けていました。それは、スタッフが「放射能の部屋」と呼んでいる、事故のあった福島第一原発から20キロ圏内に位置する楢葉町とその隣の広野町との境界近くに建てられた(放射能)汚染物質仮置き場の夕陽をうけて赤く染まったフェンスの写真を転写した窓ガラスと、その前の畳の上に、汚染地域で撮ったネガシートの写真を入れた標本箱を設置した部屋の様子です。
今、自分自身の写真について喋っていることが、あの部屋の展示にも当てはまるのかどうか、そんな疑問が自分の意識の上にのぼってくるかこないかの時に、放射能汚染地域の写真を撮るということについて玄侑さんに質問され、ちょっと焦ってしまったことは確かです。
正直なところ私は、この原発事故による放射能汚染をどのように捉えるべきなのかいまだに判りません。そして玄侑さんのようには切実さがないというのも確かなことです。しかし、日本に住むものとして、そして写真家として、忘れることなく、長く向き合い続けていかなくてはならないことだと思っています。

この写真展の他の部屋には、通常の展示とは異なり、畳の上や畳を上げた床の上に、津波にのまれたあとに地面に残されたものをその現場でスケッチブックにのせて撮った写真を額装せずにはだかのままで展示しています。また、裏庭や古い祠のある裏山には、路傍の石や新石器時代に立てられた巨石などの写真をアクリル板や複合板やトタンなどに転写したものを地面や木の上に設置しています。
写真展「記憶のかけら」は12月2日(土)までです。
※11月27、28、29日はお休みですのでご注意ください。
(六田知弘)

 

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2017.11.17 「気」の流れに
「気」の流れに

昨日は3回目の運慶展を観てから、夜遅く、写真展「記憶のかけら」の会場である伊豆の国市の知半庵に着きました。今日は、予報とはことなり、朝から雲ひとつない秋晴れです。
石の写真のインスタレーションをしている裏庭に出ると、朝日が裏山の竹林から差していて、そこから家に向かってとっても良い「気」が流れているのを感じます。
明日(18日)は作家の玄侑宗久さんとともにここでアーチストトークをします。どういう話になるのか私にもわかりませんが、自分でも楽しみにしています。
今日から最終日の12月2日まで休まずに公開していますので、みなさん是非、この良い「気」の流れに身を浸しにおいでいただければと思います。(六田知弘)

 

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2017.11.10 伊豆の葛城山
伊豆の葛城山

静岡県伊豆の国市で写真展「記憶のかけら」が始まりました。先週の金土日と会場の知半庵に行っていたのですが、日曜の夜の帰り、お客様の車に乗せてもらって三島まで行く途中、車窓から見えた山並みをスマホのカメラで撮りました。この山は葛城山(かつらぎやま)というのだそうです。
その名を聞いて、すぐに思ったのは、私の故郷奈良県御所(ごせ)市にある葛城山(かつらぎさん)との関係です。
今年の3月に大阪と御所で開催した「宇宙のかけらー御所」にも葛城山の山並みや葛城山の山中で撮った写真を何枚も出しました。
御所の葛城山は修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が最初に修行に入った山で、その法力の強さのために地元の神に妬まれて、朝廷の転覆を企んでいるという無実の罪を着せられて、役行者は伊豆に島流しにあったという伝承があります。
私が葛城山と聞いてすぐ思ったのは、島流しにあった役行者がいたのは、この地ではないかという事です。(役行者は毎日その伊豆から飛び立ち、富士山の周りを飛行したとか、鳥取県にある三仏寺の投入堂は、役行者が伊豆からあの絶壁にに念力で投げ入れたものだというような伝説もあります。)
ネットで調べても伊豆の葛城山と役行者との関係について触れている記事は見当たらなかったのですが、同じ年に開催した写真展に2つの葛城山が絡んでくることは、役行者と同郷である私にとっては、単なる偶然だとは思えない気もします。
そういう事を考えながら車窓から撮った伊豆葛城山の山並みの写真を見ていると、御所の名柄辺りから見る金剛山と葛城山との間の姿と瓜二つのように私には見えてくるのですが、御所の方々はどう思われます?(六田知弘)

 

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2017.11.02 奄美のガジュマル
奄美のガジュマル

1週間のうちに2つの台風が通過した奄美大島。台風一過、山に入ると立枯れした太い木が根元から折れて真新しい裂け目を晒しているのがいくつか目に入りましたが、集落や道路は、これくらいの台風は日常茶飯事なのか、何事もなかったようにきれいに片付けられ、ゴミひとつないのには驚きました。
その翌日、島の南西部半島のどん詰まりにあるひなびた集落の民宿に泊まりました。朝食前に集落をぶらついていると、浜に近いところに白いサンゴの砂地の広場があり、その奥にガジュマルの木が二本並んであるのが目に留まりました。その一本の根元に近い部分には朝の光が塊になってあたって、それがまるで宇宙飛行士の姿のようにも、木霊のようにも、そして女陰のようにも見えて、あやしく宙に浮かんで揺らいでいるのでした。
この頃何故か植物にこころ惹かれます。しばらく植物を重点的に撮っていこうと思っています。

ところで、3日から静岡県伊豆の国市の「知半庵」でインスタレーション写真展「記憶のかけら」が始まります。
(詳細はこちらをご覧ください。)
私が会場にいるのは今のところ、次のような予定になっております。
11月 3日(金)、4日(土)、5日(日)、17日(金)、18日(土)、22日(水)
12月 2日(土) です。
最寄駅は伊豆箱根鉄道の「大仁」です。新幹線を使うと東京からでも1時間半ほどで行くことができます。皆様のお越しをお待ちしております。
なお、開廊日については十分ご注意下さいますように。(六田知弘)

 

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2017.10.27 「翡色」の高麗青磁小碗
「翡色」の高麗青磁小碗

ここ数日、大阪の東洋陶磁美術館で高麗青磁の撮影をしています。これまでにも何度も来て、この美術館所蔵の名品は既にほとんどを撮って、もう後は参考品程度のものだろうと思っていたのですが、あにはからんや、いままでにほとんど展示もされなかったという、まことに美しく心惹かれる小品が連続してでてきて、驚かされ続けています。
なかでも昨日最後に撮った小さな捻り花の形の小碗には、まいってしまいました。芙蓉のように重なりあう花びらをかたどった薄く端正な器形やその表面に精緻に彫られた菊花の文様の美しさ、そしてなにより、これこそ「翡色」の極みと言ってよい釉色と釉調。思わずそれを自分の唇にあててみたいという衝動にかられてしまい、それが出来ずに、ため息がでてきます。なかなか次にいくのが名残惜しくてこれ一枚で、1時間も撮り続けてしまい本日これにて終了となってしまいました。
さて次はどんなものがでてくるのでしょうか。たのしみです。

ところで、来週の11月3日から静岡県の伊豆の国市の「知半庵」というところで写真展「記憶のかけら」を開催します。今回の展覧会は、古民家の室内とその裏庭、裏山をつかった私にとっては最初といえる本格的なインスタレーションです。 詳細はこちらをご覧ください。 (六田知弘)

 

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2017.10.20 「他力写真」
他力写真

今回「運慶」展のために取り下ろした写真で、これは撮れてよかった、と自分で思うものとして、自然光で撮った興福寺の無着菩薩像のことを前に書きましたが、実はもうひとつ、思いもかけず、偶然のように撮れた好きな写真があります。それは、ここに載せた興福寺南円堂の四天王像のうちの持国天の写真です。
四天王像はCTスキャンを撮るために、早めに東京国立博物館に搬入されてきていて、私は博物館の普段使われていない大きな部屋で四体を二体ずつ二日に分けて撮影しました。この持国天は二日目の最後に撮りました。
様々なアングルから、そしてライティングを考えながら、これらものすごくデカく、パワフルな仏像に向かい合って撮るのはかなりの体力と精神力が必要です。この最後の持国天を撮っている時は、もう限界に近いな、と自分でも感じながらも、最後の力を振り絞って撮っていたというのが正直なところです。
そして、どうにか、撮り終えた後、ライトも消して、撮影機材を助手の人たちが片付けている間、精魂尽き果てた私は、先ずいちばん大事なカメラを三脚から取り外し、屈んで、部屋の隅に置いてあるカメラバックにしまうことが精いっぱいという状態でした。そして、そうしながらなにげなく屈んだままで、ふと目を上げた時、そこにさっきまでライトをあてて私が撮っていた持国天が、それまで見ていたものとはかなり違う、鋭い目で、剣をもつ右腕を振り上げ、たもとを靡かせた、なんというか、怖いような真迫感あふれるすがたで立っていたのです。私は、慌ててカメラをもう一度とりだして、足を縮めた状態の三脚に据え直し、機材の片付けをしてくれていた助手の二人に脚立にのって像の後ろで黒い布を広げて持ってもらい、カメラのホワイトバランスをオートにして、室内の常時の蛍光灯のままで、撮ったのです。
これはある意味、私の「自力」で撮ったのではなく、向こうから写ってきてくれた、「他力」の仕業というべきでしょう。自然光で写した無着の写真も同じ「他力」の写真。 そんな写真をこれからも時々でも良いので続けて撮れるようになれれば幸せだな、と思うこの頃です。 (六田知弘)

 

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2017.10.13 コマチアイト
コマチアイト

先週、開催中の写真展「壁/石・記憶」のために金沢に行ったのですが、そのとき会場の「玄羅アート」が入っているビルの一階にある「石の華」という石の標本専門店でコマチアイトという岩石を買い求めました。お店の方の説明によると、この石は、地球内部の物質がまだ十分に分化していない約40億年前(35~25億年前という説もあります。)にマントルの海が冷えて最初に出来た岩石のひとつだといわれているということ。私は、もちろんその説明に大いに引かれたのですが、それとともにその石を見せられた瞬間になんだかわからないものが私に飛び込んできて、どうしてもそれが欲しくなってしまったのです。
この石の何が私を引きつけるのか、まだよくわからないのですが、ときどき、眺めたり、手に取ったり、写真を撮ったりしながら考えて?みようと思っています。(六田知弘)

 

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2017.10.06 金沢へ。ギャラリーリニューアル完了
金沢へ。ギャラリーリニューアル完了

今、金沢に向かう新幹線の中でこれを書いています。金沢まで新幹線が開通してから初めて乗るのですが、揺れも少なく、車両も落ち着いたデザインで快適です。
今日(10月6日)から金沢の玄羅アートという、今年の5月にオープンしたばかりの画廊で「壁/石・記憶」という写真展を開催します。このギャラリーのオーナーさんはちょっとその経歴が変わっていて、去年まで実は新聞記者さんだった方です。本社の文化部のデスクをされていた時には何度か私についての記事も書いていただきました。美術のコレクターでもあったのですが、それが高じて、記者をやめてギャラリーを持たれたのです。華麗なる変身というか無謀というか…。とにかく人生やれる時にやらないと悔いが残るので、私としても応援したいと思っています。
今回の展示は、最新作を含む「壁」と「石」の写真で構成します。もし期間中に金沢にいらっしゃることがありましたら是非お立ち寄りください。

このwebサイトのgalleryページのリニューアルを進めていましたが、先日22シリーズ全て完了しました。 これを見て、私も本当にいろんなものを撮って来たなと自分なりに感心するというか、それよりも呆れたというほうが適切でしょうか。とりとめなく何でも撮っているようにも思ってしまいますが、でもこれらは全て、私の心がなにかにひかれるままにカメラをもって歩いて来た軌跡のようなもの。これから自分の足がどこに向かうのか、そしてどこまで続くのかわかりませんが、「自力」というより、何かの導きに身をまかせて「他力本願」で歩いていこうと思っています。(六田知弘)

 

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2017.09.29 運慶のまなざし
運慶のまなざし

東京国立博物館で「運慶」展がはじまりました。
私は、内覧会に行ったのですが、運慶の20代の時に造ったという円成寺の大日如来にはじまり、父康慶の作品群から運慶本人のもの、そして、運慶の子供湛慶や康弁などに続く仏像群を見ていくと、それらの中に引き継がれてきたDNAのようなものに自分自身がえらく親近感を覚えていることに気がつきました。私は、奈良県に生まれ、幼稚園の頃から祖父に連れられ寺を巡り、小学4年生から一人で仏像を見て歩いた仏像少年だったので、運慶一族が造った仏像もよく見ていて、それらがもつ独特の波動のようなものを子供のころから感じ、知っていたのでしょう。そして、これはちょっと我田引水かもしれませんが、運慶たちと同じ奈良に生まれた私にもそのDNAが細々ではあるけれど繋がっているから、これほどまでの親近感を覚えるのかもしれません。
ですから、今回運慶の撮影を依頼された時も、もちろんかなりのプレッシャーを感じたことは確かなのですが、しかしどこかで、自分には撮れるという、自信のようなものがありました。(今回新たに撮ったもののなかの何体かは、以前にも撮ったことがあり未知のものではないということもあるのですが。)実際に撮ってみて、何人もの人たちのご助力をいただいたからということは言うまでもありまませんが、限られた条件のなかで、どう撮るかほとんど迷うことなく、スムーズに撮影することができました。
そして、今回私にとって最も大きな喜びが、撮影二日目にやってきました。興福寺北円堂の無着・世親像を撮影していた時のことです。午前中にお堂の扉を閉めてライティングをして撮影した後、昼食を終えて北円堂に戻ってくると、開け放たれた正面の扉から冬の光が堂内奥深くまで射し込み、床からの照り返しの白い光が須弥壇上の無着の像を包んでいて、まるで強烈なオーラを発しているように私には思えました。私は急いでカメラを三脚にセットして、無着の左右から数枚ずつシャッターをきりました。ファインダー越しに見るその表情は今までに見たこともない、あたかも生きている無着そのもののように信じられないようなリアリティを持って私の網膜につきささってきます。その間10分もなかったと思います。
撮影している背後では、既に日本美術院の方々が、午後からの予定通り、須弥壇上で世親像を移動する作業に入っていて、私もすぐにそちらにカメラを持って移動して、世親像と無着像を回転させての撮影に移りました。全ての撮影を終えた後、いや、実は午後からのライトを当てての撮影の最中も、自然光を受けたあの無着のまなざしと、こめかみに浮き出た血管が私の網膜にフラッシュバックのように何度も鮮明に浮かびあがってきてしようがありませんでした。
全ての存在の中に「空」を見通し、その向こう側に「色」を見る深淵なる慈悲のまなざし。そしてそこに至るまでの苦悩を語るような、こめかみにはしる血管。
このとき、私は、今までに知らなかった運慶のほんとうのすごさ、運慶の運慶たる所以を、見せつけられたように思いました。

ところで来週の金曜日10月6日から金沢のギャラリーで六田知弘写真展「壁・石/記憶」を開催します。
今年5月にスコットランドで撮った石の最新作や未発表の壁の写真など、私がここ10年ほど撮り続けているテーマで構成しています。
会場は金沢駅近くのホテル日航金沢の隣の「玄羅アート」です。
仏像の写真とはまた違った、でも確かに六田知弘の写真であるはずの作品をご高覧いただければ嬉しいです。
詳細はこちらをご覧ください。(六田知弘)

【画像】興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」(会場:東京国立博物館)公式図録 表紙より

 

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2017.09.22 「般若心経」、そしていよいよ「運慶」展開催
「般若心経」、そしていよいよ「運慶」展開催

仏事があって奈良に帰り、夜実家で、作家で禅僧でもある玄侑宗久さんの「現代語訳 般若心経」を読みました。
その翌日、施設に入っている母に会いに行ったとき、母が実家にいたときには毎日欠かさず仏壇に手を合わせ、浄土宗のお経と般若心経をあげていたことを思い出し、「般若心経知ってる?」と訊ねたら即座に「ぶっせつ まーかー はんにゃーはーらーみーたしんぎょう かんじーざいぼーさー ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじ・・・・」と唱え始めました。全くつっかえることもなく最後の「ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか はんにゃーしんぎょう」まで一気にです。私はスマホを取り出してその声を録音すべく、母に再度唱えてもらいました。
いやー驚きました。今は、かろうじて自分の名前と生年月日、そして私と弟の名前と顔がわかるくらいなのに、どうしてこんな難解なお経を唱えることができるのでしょう。般若心経は母の脳の中の普通のものとは違うところに蓄積されているということか、あるいは蓄積場所は同じでも異なった回路を通って出てくるということなのか。いずれにしても、母にとって最後まで残ったもっとも大事な「記憶」のひとつということでしょう。
般若心経は宗派を問わず特別なお経とされてきたとのこと。それが、母の身体というか魂の中にしっかりとしみ込んで生き続けていて、かろうじて残っている細い細い回路を通って口からでてくる。それだけでも母はなにか大きなものに護られている。そういうふうに思えて、息子の私はとっても嬉しくなりました。

ところで、いよいよ26日から「運慶」展がはじまります。運慶とその周辺の仏師によって造られた仏像がかつてない規模で東京国立博物館に集合します。
展示される仏像の新規の撮影はすべて私がしたのですが、今回撮ったものの中でも、私がもっとも撮れてよかったと思うもの、つまり、みなさんに是非とも見ていただきたいもの、それは自然光で撮った興福寺の無着像の横顔の写真です。それが今回の図録の表紙を飾っています。展示されている仏像はもちろんですが、この図録も手に取って是非ご覧いただければ嬉しいです。それと、卓上カレンダーも会場内のショップでお買い求めいただけます。私が撮ったものだけで構成され、表紙の(自然光による)無着像をはじめ、7体の仏像がこれまでにない、あらたな表情を見せてくれているはずです。 (六田知弘)

 

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2017.09.15 風呂の中のヤモリの子
風呂の中のヤモリの子

自宅の風呂の湯船からあがって、洗い場に立てかけてあったお風呂の蓋をバスタブにもどそうとしたとき、タイルの上をちょこちょこと歩く、小さな生き物を見つけました。ニホンヤモリの赤ちゃんです。私は昔からヤモリが好きで、飼育箱に入れてしばらく飼っていたこともあるのですが、生きた虫しか食べないので飼いきれず、放してやったことがあります。それにしてもこういう小さなヤモリは本当にかわいいです。思わずそっと掌にのせ、脱衣場にあるスマホでパチリ。大きな目の中の瞳にある爬虫類独特の縦の線がなんとチャーミングなのでしょう。あまりストレスをあたえるとかわいそうなので、写真の後は、お風呂の窓から外ににがしてやりました。
風呂の中で見つけた生き物と言えば思い出すのは、もう25年ほど前になりますが、イタリアのポリという丘の上の小さな村の人たちを撮るために、村の中の空き家を借りて生活をはじめた最初の日の夜のこと。湯をはろうとバスタブの中を覗いたとき、そこに一匹の小さな黒い生き物をみつけました。何だと思います? 私もはじめ何か判らなかったのですが、目を凝らしてみるとそれはどうやらサソリらしい。イタリアにサソリなんかいたのかな、と一瞬思いましたが、確かめるべく、部屋からモップの棒を持ち出して、軽くつついてみたら、ゆっくりと動き、はっきりとサソリであると確認することができました。私は元来こういう小動物が好きなので、飼ってみたくなり、部屋にあったガラスの花瓶に入れて、ひと月ほど生きた蟻やダンゴムシのようなものを捕まえてきては、餌として花瓶のなかに入れてやっていたのですが、その餌が合わなかったのか、知らぬ間にサソリは死んでしまっていました。それを取り出して、大判カメラで(もちろん大判フィルムで)写真を撮ったりしたのですが、それにしてもサソリというのはなんて美しい生き物であることか。そのときあらためて知りました。(六田知弘)

 

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2017.09.08 前鬼・後鬼 天燈鬼・龍燈鬼
前鬼・後鬼 天燈鬼・龍燈鬼

私の仕事場には鬼が3人棲んでいます。鬼といっても昔は確かに悪さをしたようですが、奈良時代の末に役行者に懲らしめられてすっかり大人しくなり、今は、私の仕事がうまくいくように護ってくれる守護神のような存在です。仕事場に行くと先ず私は二つの窓を開けて空気を通し、そして、夫婦である前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)がそろった二体を両手に持って胸の方に引き寄せて護ってくれるようにお願いします。そのあと、一体だけの(以前このトピックスにも取り上げたことがある)別の後鬼の頭に手をのせて挨拶します。これがいつの間にか習慣になってしまいました。役行者と同郷の奈良県の御所生まれの私には、これらの鬼たちはとっても親しみのある存在です。
そのうちの夫婦のほうの二体は二年ほど前に私のもとに来たのですが、これにはとても不思議な縁がありました。ここで、詳細を書くとまたあまりにも長くなるので、控えますが、実は、彼らにはじめて会ったのは、かれこれ二十数年前になるでしょうか。それから数奇な過程を経て、私のもとに来てくれたのです。私のところに来るべくして来たように思います。
ところで、今月の26日からいよいよ東京国立博物館で「運慶」展がはじまります。この展覧会のために新たに撮った写真は私の仕事なのですが、その中でいちばん最初に撮ったのが興福寺にある運慶の三男 康弁作の天燈鬼と龍燈鬼でした。二体とも子供のころから大好きな存在だったので、緊張しながらも、ウキウキした気持ちで撮りました。両方とも本当に素晴らしい。(特に龍燈鬼の臀部が何と魅力的なことか!!)まさに運慶の最も良いところをしっかりと引き継いでいます。
先日、知人に龍燈鬼を撮ったという話をしたら、私のところにいる(夫婦の方の)後鬼に似ているといわれたものだから、あらためて写真を撮りながら見ていると、確かにどこか相通じるところがあるような。あの運慶のDNAがここにも引き継がれているとしたら、何とも嬉しいことなのですけれど。因みにこの前鬼・後鬼を二十数年前にはじめて見たのは、運慶たち南都仏師が生まれ活躍した奈良でした。(六田知弘)

 

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2017.09.01 仏壇の前で
仏壇の前で

今まで奈良の実家の仏壇の前で眠っていました。
父の23回忌がある為、夕方まで東京で打ち合わせをした後、帰郷したのですが、誰もいない家の仏壇の前のろうそくに燈を灯し、線香に火を点けておがんだあと、傍のご先祖さまたちの写真を見ていたらなんだか急にたまらなく眠くなり、そのまま横になって眠ってしまったようです。しかしなんと心地よい風が通ることでしょう。こんなに安らぎを覚える時をもつのはほんとうに久しぶりのような気がします。
話は飛びますが、今朝東京の家を出て、駅に向かう路上で、仰向けになって六肢を動かしているヒグラシを見つけました。腹を見るとメスであるとわかりました。そっと手にのせると掌をゆっくりと這いうごきます。卵もどこかに産んで、一生を間も無く終えるのでしょうが、その透明な羽を揃えた小さな姿がなんとも愛らしく思えました。
なんだかこの頃やけに蝉のことばかり書いていますね・・・。
そうそう、ヒグラシの姿は私が持っている中国の漢代の玉製の蝉に似ています。普通の玉蝉はアブラゼミの姿に似ていて平たいのですが、私のは小さいけれどもっとキュッと引き締まってシャープな姿です。帰ったら久しぶりに掌に載せてみようかしら。

追記,現在websiteのgallery のコーナーを大幅リニューアル中です。画像が今までより格段に見やすくなっています。新たな写真もたくさん入っていますし、新シリーズも加わります。現在6シリーズがリニューアル済みです。順次進めていきますので是非みなさん、のぞいてみてください。(六田知弘)

 

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2017.08.25 ミンミンゼミとカマキリの抜け殻
ミンミンゼミとカマキリの抜け殻

窓際で朝食をとっていると、ミンミンゼミの突き刺さるような鳴き声が飛び込んできました。今年は、アブラゼミよりミンミンゼミのほうが当たり年のようです。
このミーン ミーン ミーーンというはち切れんばかりの鳴き声を聞くと、4~5年前に見たビジョン?を思い出します。
そのとき私は一匹のオスのミンミンゼミでした。ある夜私はながいながい間居た土の中から這い出して、家の玄関脇の栃の木の枝を上り、一枚の葉っぱの裏に身体を固定して、ゆっくりと時間をかけて羽化をしました。あたりが幾分涼しくて、身体に当たる風が心地よかったことを覚えています。それから時間が少し飛んで、真昼の住宅街の電柱だったが電線だったかにとまり、ミーン ミーン ミーーンと本当に腹の底から全身を振るわせて何日間か鳴きつづけました。その間に交尾もしたようにも思うのですが、そんなこともおぼろげになって、今は、人気のない真昼のアスファルトの上に仰向けにころがって、起き上がる力もなくなり、ただ六肢をむやみに動かしている。そんな状態の自分をどこかすこし離れたところからその様子を見ている別の自分がいるようにも感じられます。路上にころがった自分は、涙を流しています。(蝉が涙を流すことなどおそらくないでしょうけれど)その涙は死に逝くことが怖いとか寂しいからとかいうのではなく、ある種の満足感のようなものに由来するもののように思えるのです。
そのようにみるとミンミンゼミであった時の私は充実した一生だったようですが、さて、人間である今の私は死ぬときに自分の人生に満足感をもって死に臨むことができるのかどうか・・・。そんなことをぼんやりと考えながら駅に出るため高幡不動の裏山を歩いていると足元に小さなカマキリの抜け殻が落ちているのを見つけました。その目は黒く細い触覚もそのまま残っているように見えます。前に書いた小鳥の卵もそうですが、自然がつくる造形はなんて美しいのだろうとつくづく思います。そういえば、アブラゼミやニイニイゼミの茶色い抜け殻はよくみますが、ミンミンゼミの抜け殻はどんなんでしたっけ?まさか成虫の羽のように透明ではないでしょうけれど。(六田知弘)

 

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2017.08.18 ボロブドゥールの幸せ
ボロブドゥールの幸せ

ボロブドゥールから帰ってきました。
やはりここのレリーフは特別なものでした。この世に存在している人間にとって何が幸福なのか。これらのレリーフを見ていると、理屈抜きで自然に分かってくる。というか感じられる。私にはそんな気がします。私が単純だからそう感じているのだけかもしれません。でもこの感覚は伝染するはず。私の写真がその媒介となってみなさんに伝染(うつ)してしまいたい。そんなとりとめのないことを考えながら炎天下で汗ダクダクになりながら撮り続けていました。(六田知弘)

 

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2017.08.10 ボロブドゥールへ
ボロブドゥールへ

今、成田空港に向かっている途中です。インドネシアの仏教遺跡ボロブドゥールの撮影に息子と二人で行きます。やはりお盆休みなので海外に行く人も普段よりかなり多い感じです。私はいつもならこんな時期は海外行きは避けるのですが、就職した息子と一緒に行くとなるとどうしてもこうなってしまいます。
ボロブドゥールには何度も行きましたし、息子とも一緒に行ったことがあります。2年半ほど前には東京で「ボロブドゥール」という写真展もしました。しかし、何度行ってもあの魅力は撮り尽くせない。ボロブドゥールの廻廊の壁面にはめ込まれた1460枚ものパネルに施された仏伝図やジャータカ(釈迦の前世物語)を見ながら(撮りながら)時計回りに巡って行くと、なんというか、知らぬ間に心が落ち着き、幸せな気持ちになってくるのです。仏の物語だという事ももちろんあるでしょうけれど、それよりそこに彫られた人たちや動物達の一体ずつ違う豊かな表情を見続けていると、大いなる仏の慈悲につつまれて生きた人や動物達が醸し出す幸福感のようなものが、こちらにも伝染してくる、そんな気分になれるのです。
またいずれ、ボロブドゥールも写真集にして人類が残したこの奇跡のような遺産の魅力をみなさんと共有できればと思っています。(六田知弘)

 

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2017.08.04 エジプトの肖像画
エジプトの肖像画

今、私のHPの写真画像を表示するgalleryコーナーのリニューアル作業中です。考えてみれば最初に作ったのがもう11~12年も前で、その間、写真の入れ替えやタイトルの増設などのマイナーチェンジを一度しただけで、時代にもう合わないようになってしまっていました。
そんなわけで、ここのところ、パソコンに向かって以前撮った膨大な写真(のほんの一部)を見直しているのですが、その中には撮ったきりで一度も開いていない画像もかなりありました。ここにあげたルーブル美術館所蔵のエジプトの女性の肖像画の写真もそのうちの一つです。これを開けた瞬間、ハッと何かが私の胸を強く打ちました。この肖像画は、ご存知の方も多いと思いますが、ミイラになった人の生前の姿を描いたもの、つまり遺影で、遺体の外側に巻かれた布の間に差し込まれていたものだとされています。描かれたのは、紀元後2世紀。1900年ほど前の絵です。それにしてもなんというリアリティでしょう。1900年前に確かにこの女性がこの世に存在した、ということを頭の中での想像ではなく、直に感じられます。まるでつい最近会ったばかりの親しい知人が急逝して、その葬式で遺影を見たときに感じるような、迫ってくるようなリアリティ。思わず涙が滲んできました。そして、こんな写真を撮りたいと思いました。今、ここにこの人が、このものが、「存在する」。そのことが観念ではなく、見る人の魂の奥深くで分からせることができる。そういう眼を持つ写真家でありたいと思います。
そのことと関連して、思い出すのは30代の頃イタリアの小さな村「ポリ」で撮ったポートレートのことです。村のヴィッコロ(路地)で見かけた人たちに、かたっぱしから声をかけて、大型カメラの前に立ってもらって撮った写真で、ポリの全人口の半分くらいは撮らせてもらったでしょうか。(その時に撮ったものを「ポリの肖像」という写真集にまとめました。)
ポリと日本を何度か行き来しました。日本に帰ってフィルムを現像し、プリントして、それをポリで出会ったフラーヴィオという友人にまとめて送って、写真に写った人たちに配ってもらうということを何度かやりました。
そんなある時、ポリの村はずれにある墓地に行ったときのことです。なんと真新しい墓石の一つに私が撮った写真がはめ込まれてあるではありませんか。それははっきりと覚えている男の顔で、写真を撮った時の場所も状況も思い出すことができました。それを見た時に普段完全に忘れていた、「その時その場所に存在するもの」のある一瞬を「記録する」という、写真自体が持つ根源的な機能を、そのとき改めて知ったように思います。
それと同時に、それがエジプトの肖像画のような魂に食い込むような「記録」であったのかどうかは別として、私が撮った写真を選んで、大切な人の墓石にはめ込んでくれたその家族に感謝の気持ちが湧いてきたことも確かなことです。(六田知弘)

 

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2017.07.28 「バベルの塔」
「バベルの塔」

7月のはじめまで東京都美術館で開催されていたブリューゲル「バベルの塔」展は30万人超えとのこと。そのPRの派手さを見て、どうせ行っても絵の細部なんかゆっくり見ることなどできないだろうと今回はいきませんでした。ブリューゲルは、私のもっとも好きな(5人の画家)のなかのひとりで、なかでもこの作品は一二を争うほど好きなものなので、もちろん見たかったのですが・・・。学生の頃、池袋にあった西武美術館にこの絵が来たときには見たのですが、そのときは、周りにはほんの数人しかいなかくて、心ゆくまでじっくりと見ることができたのをおぼえています。
それにしても、今、なぜこれほどたくさんに人たちがこの絵を見にいくのでしょうか。もちろん大々的な宣伝の効果もあったことは確かでしょう。でもそれだけではないはずです。この時代にいきる我々がこの絵のなかに自分たちの心の奥深くに潜む何かを無意識のうちに投影している、それゆえに惹かれる。そう私には思えます。大風景のなかで、神に挑戦するかのように天までとどくがごとき塔を建設する蟻のような無数の人たち。ここにはウイーン美術史美術館にあるブリューゲル作のもうひとつの「バベルの塔」のように塔の施工主であるニムロデ王のような権力者の姿は見えないのですが、それゆえに、見る人たちが自分たちのすがたをこの蟻のように働く人間により強く投影する。人々は、努力して進歩し続ければ神と並びうるほどのことを成し遂げることができる。進歩発展こそ最大の美徳。そう信じて、というかそう信じ込まされてただ前を向いて働き続ける。自分たちが造っている塔が傾いていることも、あたりに暗雲が立ちこめつつあることにも気づかないままに。(六田知弘)

 

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2017.07.21 蝉の羽化
蝉の羽化

自宅の門灯のまえの栃の木で今年はじめてのアブラゼミの羽化の場面を見ました。例年だと今の時期は蝉のつんざく声でやかましいように思うのですが、今年は蝉の発生の少ない年なのでしょうか。
それにしても蝉の羽化というのは、いつ見ても美しいものです。まるで全体が蝋細工のような質感で、羽は緑色を帯びて柔らかく透き通っています。自然が生んだ奇跡のような造形です。しかしこの独特の美しさも束の間で、数時間後には羽は茶色く不透明になり、身体の色も黒光りしていくのですから不思議なものです。でも考えてみるとこうした絶え間ない変化は蝉だけではなく、我々人間についても、そこらにころがっている石についても言えることで、森羅万象不動のものなどないのですから、単にその変化を人の目では捉えられないだけなのでしょうけれど。
一瞬のシャッターによって、ものの移ろいをも捉えることができたなら、そんな矛盾することを、できるようになりたいものだとぼんやりと思っているこの頃です。(六田知弘)

 

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2017.07.14 野球ボールの痕
野球ボールの痕

私の住む住宅街の入口にコンクリートの壁面があるのですが、そこにはそれが野球ボールを壁に投げて跳ね返ってきたものを捕球して、また壁に投げつけることを繰り返したときに出来たボールの痕だ、と容易に推測できる痕跡がいっぱい残っています。私がこの町に引っ越してきたときにはすでにこの痕跡はあったように思うので、かれこれ二十数年前につけられたということでしょう。
風雨にさらされていたのになぜボールの痕跡がこれほどまで鮮やかに残るのか、私の頭脳では推測することも難しい。もちろん二十数年前にも痕跡があったとしても、それは既に消えてなくなり、今痕跡が確認できるものはそれより後に作られた最近のものだということも考えられないこともないでしょう。でも、私がここに来た23年前に、この壁にあったボールの痕を写真に撮ったようなおぼろげな記憶があって、そのとき撮った痕跡がいまここにあるものと同一のものだというような気もします。(単にそういうように思い込んでいるだけかもしれませんが・・。)もしそうだとしたら、このボール痕を残した少年(おそらく)はすでに立派に成人して今はこの町には住んでいないのかもしれません。でもしっかりと、かつてここに生きた人がいたという記録が残されている。私は妙にそんな「時の流れの忘れ物」のようなものに惹かれる傾向があるようです。(六田知弘)

 

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2017.07.07 因陀羅の寒山拾得図
東京国立博物館より寒山拾得図(禅機図断簡のうち)

先日、東京国立博物館で因陀羅筆の寒山拾得図を撮りました。東博には因陀羅筆の寒山拾得図は他にもありますが、撮影したのはその中でも最も良く知られた巻子本の断簡です。
私は中学生のときに、何かの本で、おそらく顔輝筆のものだと思う寒山拾得の絵をみて、その何とも言えぬ異様な風貌と笑いにえらく衝撃をうけたことを覚えています。それ以来、いろんな場所で、中国人、日本人の画家たちが描いた寒山拾得図を見てきましたが、その中でもっとも好きなのが、この因陀羅筆の禅機図巻の断簡です。長年憧れていたこの絵が撮れるのだと思うと、撮影前夜は落ち着いて眠れませんでした。
なぜこの絵が好きなのか、なかなかうまく言葉では表現できませんが、強いて言えば、通常の意識では捉えきれない異次元の世界がそこにあるように感じられるからと言えばいいのでしょうか。他に松谿や梁楷や周文や若冲や蕭白など様々な画家たちがこの奇怪な禅僧を描いていますが、それらは通常の意識の枠内にギリギリ納まるように思えるのですが、この因陀羅の絵は私の意識の埒外にはみ出していて怖く、だからこそ強く惹かれるのでしょう。 この絵を見ていて、思い出すことがあります。もうかれこれ30年近く前になると思いますが、中国の山西省にある仏教の聖地 五台山に行ったとき、なんと言う名前か忘れましたが、その麓の寂れた町に泊まりました。夕方人気が全くのない村外れを歩いていたとき、どこからともなく、風に乗って胡弓の音色が聞こえてきました。私は、その音にひかれるように木一本生えていないような黄土色の乾燥した斜面を登っていくと、そこに、まるで黒澤明の映画「羅生門」のような崩れかかった楼門があり、その下にうずくまるような格好で、ぼろぼろの布を身体に巻き付けただけの盲目の老人がいて、ひとり胡弓を弾いているのでした。その顔は、なんとも表現が出来ない、それまでに見たことのないような不思議な(ある意味不気味な?)笑みを浮かべていました。全身鳥肌がたちました。現実の世界ではない、別の時空にはまってしまったように思い、こわくなりました。それでも楼門とその盲目の老人にカメラをむけて、シャッターを2〜3度押したことをおぼえています。(六田知弘)

 

【画像】東京国立博物館研究情報アーカイブスより [寒山拾得図(禅機図断簡のうち)画像番号:C0011284

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2017.06.30 小鳥の卵
小鳥の卵:六田知弘撮影

朝、駅に行く路上で小鳥の卵の殻が落ちているのをみつけました。おそらく高幡不動の裏山でよく見かけるシジュウカラかなんかの卵でしょうが、カラスなどにさらわれて空中から落とされたのでしょうか? いろいろ想像できますが、そんなことより、雨に濡れて黒く光るアスファルトの上の薄ピンクの薄い卵の色と形がなんとも美しくこころ惹かれました。(六田知弘)

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2017.06.23
台北から戻り:六田知弘撮影

雨で涼しい台北から帰ってきてから一日置いて、東京国立博物館で二日続けて、東博所蔵品の写真集のための撮影をしました。今回は書の名品8点です。中国の宋時代の米芾の作品を先ず最初に撮ってから日本の平安時代の古今和歌集などをかいたカナに移りました。同じ書といってもその美的感覚のあまりにも大きな違いに改めて驚きました。(六田知弘)

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2017.06.09 台北での「蓮のゆらぎ」展
台北での「蓮のゆらぎ」展:六田知弘撮影

台湾での初めての写真展「蓮のゆらぎ 蓮 霊動 Waves of the Lotus」展が始まります。今日16日は夕方から内覧会です。会場は廸化街という清朝末期から日本統治時代にできたちょっとレトロな町並みの一画です。
蓮に特別な思い入れがある台湾の人達に私の撮った蓮のゆらぎがシンクロするかどうか、楽しみです。(六田知弘)

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2017.06.09 台北での「蓮のゆらぎ」展・木洩れ日
木洩れ日:六田知弘撮影

来週17日(土)から台北のギャラリーで「蓮のゆらぎ」展を開催します。作品は今までに発表した蓮の写真に加えて、現地台湾で撮ったものも展示します。内覧会を含めてたった4日間ですが、アジアでは初めての展覧会。蓮に対する特別な思い入れがある台湾の人たちの反応が楽しみです。私は15日から台北に入ります。
イギリスから帰って来て1日だけ仏像の撮影(横須賀の満願寺と浄楽寺の7駆でしたが、それぞれが思いの外、魅力的なお姿で、撮りながら久々の至福の時間を味わわせていただきました。)がありましたが、あとはゆっくりと休養をとりました。
写真は高幡不動の裏山を駅に向かっている時に出会った木洩れ日です。ああ、日本ですね。(六田知弘)

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2017.06.02 ホーム下の外壁で
ホームの下にあたる外壁で見つけた植物:六田知弘撮影

近所の駅に沿った道沿いを歩いていて、ちょうどホームの下にあたる外壁で見つけた植物です。おそらくキク科の植物で花も散り、綿毛も飛び散ったあとの茎だけが残ったものでしょう。ほとんどドライフラワーのようになっていましたが、その姿はここのところちょっと疲れが出たかなと思う私にとって、ちょっとした清涼剤になってくれました。(六田知弘)

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2017.05.26 帰国しました。
六田知弘写真展「時のイコン」@ロンドン:六田知弘撮影

英国での個展とスコットランドでの石の撮影を終えて帰国しました。実り多い旅でした。
個展は東日本大震災の時の津波にのまれたものたちを撮った「時のイコン」でした。思いもかけないほどたくさんの方達に来ていただいことは前回のトピックスでご報告しましたが、来場者の反応というか、感想が日本でのものと随分違っていました。「なんて美しいのだ!」これが約7割ほどの人たちの第一声でした。これには私も驚きました。その理由はいろいろ考えられると思いますが、それを探ると私にとっても何か新しいものが得られるような気がしています。(六田知弘)

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2017.05.19 ロンドンでの「時のイコン」展
六田知弘写真展「時のイコン」@ロンドン:六田知弘撮影

16日の夕方からロンドンでの写真展「時のイコン」がはじまりました。会場はロンドン中心部の礼拝堂「フィッツロヴィア チャペル」です。この地域は以前は大きな病院があったところで、そこが大規模に再開発されたとのこと、チャペルはその中心に位置します。建物は今は、宗教施設としては使われていませんが、中も外もきれいに修復されていて、モザイクも美しくとても雰囲気の良いところです。そんな空間で、津波で流され地面に残されたものを撮った「時のイコン」を展示させてもらったのですが、なんともしっくりとなじんでいるように思います。
初日は、16時から始まったのですが、20時30分に会場を閉めるまでの来場者は200人はゆうに超えたと思われ、私の予想を大きく超えてうれしいかぎりです。それにおいでいただいた人たちの大半は、この写真展を目指してこられた方のようで、皆さん本当に熱心に見てくださって、私の説明よりも写されたものたちの声に耳を傾けてくださっているのがよくわかりました。雨模様の2日目も3日目も、平日にもかかわらず、来場者が絶えず、ひとり無言で写真に向かっている人も何人もいらしたようです。ここでやれて本当に良かった。

「時のイコン」の海外展の為にクラウドファンディングやカンパをいただいた多くの方々と、ロンドン展に全面的にご支援くださったロンドンのHORIUCHI FOUNDATIONに深く深く感謝いたします。(六田知弘)

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2017.05.12 「時のイコン」ロンドン展 / 天を突く石
マル島, スカイ島:六田知弘撮影

スコットランドで石を撮っています。3日前には、マル島で天を突く石を撮りました。吸い込まれるような深い空を背景に、あたかも宇宙との交信アンテナのように、小刻みに震えるように立っていました。

今回は16日から21日まで、Photo Londonの一環として「時のイコン」の写真展を開催します。みなさんからのご寄付に合わせてロンドンのHoriuchi Foundation の全面的なご支援をいただき、実現できました。大英博物館にほど近いチャペルでの展示です。もしこの期間にロンドンにいらっしゃるようでしたら、是非お立ち寄りください。

今、スカイ島のフェリー乗り場の待合室でこれを書いています。これから地の果てのようなルイス島に渡ります。この島は2010年に最初に石を取り始めたところです。あれから7年、どんな写真が撮れるのか、私なりに楽しみです。
ルイス島に渡るフェリーを待っている間に1時間ほど時間があったので時間つぶしにちょっと港のまわりを車で走ってみたのですが、道の向こうの丘の上にスタンディングストーンのようなものがチラッと見えました。このスカイ島にはそうした巨石はとても少ないと聞いていたので、見違いかと思いましたが、車を停めて丘の上まで急ぎ足で登りました。そこで見たのはまぎれもなく凛々しく見事なスタンディングストーン。まったく嘘のような出会いでした。
なんだかこの頃、見えない手のようなものに導かれているような気がすることがよくあります。今は素直にそれに従っていこうと思います。(六田知弘)

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2017.05.01 宇宙の秘密
若葉:六田知弘撮影

若葉の間を爽やかな風が吹きぬける季節になりました。その風を頬に受けていると、ふと、なんだか今までとはちょっと違うところに立っているような気がしました。
国立近代美術館の「茶碗の宇宙」と東京国立博物館の「茶の湯」展をはしごしました。近美に展示されていた初代長次郎の「大黒」を見たあと「杵ヲレ」という筒茶碗の前に立った時、思わずうなり声が出て、涙がにじみました。まさに「宇宙との根源的なつながり」をその茶碗から感じました。長次郎は宇宙の秘密を覗く事ができる稀有の人だと思います。(昨年暮れに興福寺の運慶作の無着像を撮った時にもそう感じました。)
6日から24日までイギリスに行ってきます。スコットランドでの石の撮影と16日からのフォトロンドンに合わせての「時のイコン」の写真展(5月16日-21日@Fitzrovia Chapel)です。
さて、久々の石の撮影。宇宙の秘密の端っこでも写ってきてくれたらうれしいのですけれど・・・。
次回はスコットランドのマル島からです。(六田知弘)

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2017.04.28 すっぽん
すっぽん:六田知弘撮影

ちょっと汗ばむほどの晴れた日に、家の玄関先で飼っているすっぽんの水槽の水を換えてやりました。うちのすっぽんは子供が小学校に入るか入らないかの頃にスーパーで1000円で買ってきたもので、かれこれ17~18年くらいここに棲んでいます。来た時は甲羅の長さが7センチくらいでしたが、今は25センチくらいあるでしょうか。もう十分スッポン鍋にしても食べごたえがあります(笑)。いつもは緑に濁った水の中にいるのでほとんどその姿は見えないのですが、こうして澄んだ水の中にいるところを見るとワイルドだけれどなかなか洗練された姿で美しい。20年ほど前に正倉院の「青斑石鼈合子」というすっぽんをかたどった石製の素晴らしい宝物を撮った事があるのですが、我が家のすっぽんはそれに劣らぬ美形です。
最近は、自然のが作り出した造形には人は到底かなわない。自然が人のお手本だとつくづく思う事が多くなりました。
これから東京国立博物館で開催されている「茶の湯」展を見に行くところです。(六田知弘)

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2017.04.21 福島のヤマザクラ
福島のヤマザクラ:六田知弘撮影

先週に続いて福島に来ています。今は南相馬市。さっきから雨が本格的に降ってきました。
昨日、三春にいたのですが、今年は例年より桜の開花が遅く、ちょうど今が満開で町中がまさに桜色。さすがに三春は町名に「春」がつくだけあると納得しました。有名な滝桜には行く時間がなかったのですが、作家の玄侑宗久さんが住職をされている福聚寺のしだれ桜も本当に見事でした。
今日は郡山から車で飯舘村を通り、南相馬市に来たのですが、境の峠にも桜がありました。今、7分咲きというところでしょうか。花と一緒に赤い新葉が出ているので吉野山と同じヤマザクラでしょう。新緑を背景に風になびいて咲いている健気な花を見ていると放射能汚染など夢であったようにも思えます。しかし、それは決して夢ではない現実です。その現実を忘ることなく、私なりの関わりを持ち続けようとあらためて思いました。
これを書いているうちに雨も止みました。そろそろ写真を撮りつつ郡山に戻ります。(六田知弘)

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2017.04.14
桜:六田知弘撮影

東京国立博物館での仏像の撮影の際に通りがかった上野公園は暖かい風を受けて今、一面の桜吹雪。
よく言われるように満開の桜は、特にソメイヨシノは、確かにどこか死のイメージがある様にも思えますが、こうして風に吹かれて散っていく花びらは、私は死というよりも「再生」のイメージを強く感じます。また、来年になれば蕾が膨らみ、花が咲きます。いやその前に萌える若葉が私たちの目とこころを癒してくれるのですから。(六田知弘)

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2017.04.07 東京の青い空
東京の青い空:六田知弘撮影

東京駅間近の街路樹の桜も今は満開です。春の風を受けながらその下を歩いていてふと見上げると真っ青な空。花曇りの空がひらけ、これこそ汝窯をはじめ中国青磁が目指した色「雨過天青」ではないかと思うような青色に白い雲が激しく流れ、銀色の飛行機が飛行機雲を引きながら通り抜けて行きました。
そう言えば先日終わった私の故郷 御所の展覧会に展示した高天(たかま)の空もこんな青でした。(六田知弘)

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2017.03.31 御所展も今日で終わり
御所展も今日で終わり:六田知弘撮影

私の故郷奈良県御所市を撮った写真展ですが、19日に大阪会場での展示は終わり、今日3月31日は御所会場も最終日を迎えました。予想以上の盛り上がりで本当にみなさんに感謝しております。50年ぶりに会う懐かしい人達にお会いすることができたし、新しい知り合いもできたし、東京など遠方から来てくださった方もいたり、本当にいい出会いの場でもありました。 今日は大学時代の友人で大阪の役所に勤めていた人も、定年退職の辞令を受けたその足で駆けつけてくれました。考えてみればみんなそういう歳になりました。長年のお勤め本当にご苦労様でした。私には定年はないのですが、この御所展で、やはりある意味で、人生の大きな区切りに来たのだということを感じています。さてこれからどんな仕事をするか、乞うご期待を。(六田知弘)

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2017.03.24 母の横顔
母の横顔:六田知弘撮影

宇宙のかけら―御所」の大阪会場での展示もおかげさまで多くの方々においでいただき無事終わりました。御所会場での展示もあと一週間といよいよ終盤。地元の方々の心温かいご協力を得て大いに盛り上げていただいてこちらも大盛況です。本当にありがたいことです。
その際、息子と二人で老人施設に入っている母に会いに行きました。薬のせいで眠たくなるようで、話をしている時も母はすぐ目を閉じてしまいます。窓から入る光を受けたその横顔が、昨年暮れに撮った興福寺の無着像の自然光で見る表情とどこか似ているように思えて、思わずスマホのカメラで一枚撮らせてもらいました。(六田知弘)

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2017.03.17 大阪展はあと2日

写真展「宇宙のかけら―御所」の大阪会場での展示は19日(日)まで。あと2日間となりました。今、関西への途上です。
18日と19日は午後2時からギャラリートークをします。展示してあるに写真について思いつくままお話ししてみようと思います。御所の赤塚邸では20日の13時30分からお話しします。もしお時間があえばおいでください。
それにしても東京や愛知県からも多くの方々においでいただいているのに、私の身は一つ。お目にかかれないのが残念です。でも本当に嬉しいです。東京でもやらないのかと展覧会を見た知人の多くから尋ねられます。私としてはできたらいいなと思っています。
11日の御所の市民ホールでの相田一人氏とのトークイベントも満員御礼で、230人もの方々においでいただき嬉しい限りです。50年ぶりに会った幼なじみや中学、高校の同級生や担任の先生、同じ町内のおばさんやおじさん、いつも診ていただいていたお医者さんの奥さんや親戚の人たちなどなど。そういう方々を前にお話しするのはいつもにも増して緊張しましたが、トークイベントが終わったあと、やってよかったとえらく嬉しくなりました。みなさん本当におおきに。有難うございます。
大阪は19日までですが御所会場は3月31までやっています。古き良き民家でコタツに入って、ふすまや衝立に貼られた写真や古い襖絵に囲まれてお話しするのもいいですよ。(六田知弘)

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2017.03.10 「宇宙のかけらー御所」が始まりました。
「宇宙のかけら御所」展示の様子:六田知弘撮影

私の故郷奈良県の御所(ごせ)を撮った写真展「宇宙のかけらー御所」が大阪と奈良県の御所で始まりました。大阪の都心部 中之島にある近代的なスペースと御所の築300年以上の古民家という全く異なる環境での展示ですので写真の種類も見せ方も大きく違います。同じ写真は3枚だけで他は全て違うものです。ですので同じ御所で撮ったものでも印象は全く違うものだと思いますので、お時間が許せば是非両方を見ていただきたいです。そして御所会場に行かれたらその足で御所の古い町並みを見て歩いたり、金剛、葛城山の麓に点在する独特の霊気を放つ寺社を巡って歩かれることをお勧めします。(六田知弘)

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2017.03.03 やっと一息
高幡不動の裏山:六田知弘撮影

「ロマネスク」写真集ができ、写真展もおかげさまで盛況のうちに終わりました。本当に多くの方々にお世話になり、足元がふらつく私を支えていただいた事、心より感謝いたします。正直、少し疲れましたが、そんなことを言ってられません。ロマネスク写真展が終わった次の日の日曜日、近くのスーパー銭湯にいき、一日だけでしたがゆっくりと休みました。休憩室の窓越しに見えた白い雲が面白かったのでスマホをひと押し。
次の月曜日から後片付けや撮影がずっと続き、今日3日に御所展のための準備で奈良に来ました。明日から会場の設営に入ります。
8日(水)から写真展「宇宙のかけら―御所」が大阪と御所で始まります。7日は18時半から大阪会場で内覧会があります。どなたでもご参加いただけますのでご遠慮なくお立寄り下さい。お待ちいたしております。
是非みなさんに私の最新作をご覧いただきたいです。(六田知弘)

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2017.02.24 「ロマネスク」もあと一日
高幡不動の裏山:六田知弘撮影

繭山龍泉堂で開催中の「ロマネスク」写真展も残すところあと一日。14時からギャラリートークをしますので是非お出かけください。
この展覧会が終わったらすぐまた「御所」の写真展です。バタバタしていますが、ここは踏ん張りところ。
みなさん会いにきてください。お待ちしています。(六田知弘)

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2017.02.17 「ロマネスク展」開催中です。
高幡不動の裏山:六田知弘撮影

東京京橋の繭山龍泉堂で開催中の写真展「ロマネスク」も会期半ばとなりました。おかげさまで多くの方々においでいただいて嬉しいです。私がこれまで20年近く撮りためてきたロマネスクの集大成としての写真集の出版記念としての意味合いもありますが、実際に大きく引き伸ばした写真は、同一の写真でも写真集で見るのとはまた違ったものになっています。特に壁画などはなんというか、まるまる壁画そのものを切り取って来たかのようなリアリティに、おいでいただいた方々に驚きを持って見ていただいています。私も本当に改めて驚いています。このように言ってもそれは伝らないと思いますので是非みなさん一度その目でお確かめいただきたいです。ただくれぐれも、これが写真なのか実物なのか確かめようと思わず触ろうとはなさらないよう、ご注意ください。(笑)
18日(土)、19日(日)は2時よりギャラリートークをしますので、お気軽にお立ち寄りください。
写真は朝、展覧会場に行く時に高幡不動の裏山で撮ったものです。(六田知弘)

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2017.02.10 「ロマネスク」展が始まります。
繭山龍泉堂「ロマネスク」展:六田知弘撮影

いよいよ東京 京橋の繭山龍泉堂で写真展「ロマネスク」が始まります。
20年近く前から撮り続けてきたヨーロッパ中世のロマネスク美術。展覧会と合わせて写真集「ロマネスク 光と闇にひそむもの」も刊行されました。この写真集と写真展が私のロマネスク美術を巡る旅の集大成です。写真集に掲載された聖堂は約120。なんと総ページ750ページを超える大作です。今日初めて出来上がったものを手にとりましたが、なんとも感慨無量です。
写真展会場の準備が整い、あとは13日のオープンを待つばかり。是非みなさんお立ち寄りいただきたいです。ロマネスク美術に興味をお持ちの人も、そんなのきいた事はないという方も、結構楽しんでいただける空間になったと思います。
25日までの期間中、私は毎日会場にいる予定ですので、お気軽にお声をおかけください。
また、18日(土曜)と19日(日曜)の14時からギャラリートークをすることになりました。みなさん、お誘い合わせておいでください。撮影秘話などいろいろお話ししようと思っています。(六田知弘)

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2017.02.03 速水御舟の画集

日本画家 速水御舟の画集を見ました。60年ほど前に出されたものなので、全てがモノクロです。しかし、それがかえって御舟独特の不思議な雰囲気を強めているようで、あっという間にその世界に連れて行かれてしまいました。現実と非現実というか、この世とあの世というか、異なる時空を自由に行き来する御舟という人間はなにものか。それが容易にかなわぬ私には、その才能がうらやましい限りです。(六田知弘)

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2017.01.27 印刷立ち会い
高幡不動の松ぼっくり:六田知弘撮影

今、写真集『ロマネスク 光と闇にひそむもの』の印刷の立ち会いに山梨に来ています。印刷工場のインク の匂いを嗅ぐと、今までに作った写真集の事を思い出します。期待と不安が入り交じった時間です。苦労して撮った写真が我が手を離れる時ですから。今回は、色校では足りなかった要素が本番ではしっかりと補われて空気感や厚みもでてきて出来上がりが楽しみです。
今の時間、ここ山梨は晴れていて温かいですが、朝、駅に向かう高幡不動の山道は冷え込んで、松ぼっくりが氷漬けになっていました。ここ1ヶ月ほど毎日が忙しすぎて足元など見ている余裕はなかったのですが、これが目に入るということは忙しさのピークもやっと過ぎたということなのかもしれません。(六田知弘)

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2017.01.20 ただいま大型プリント中
ロマネスク―光と闇にひそむもの:六田知弘撮影

今、自宅でロマネスク写真展のプリント作業中です。
ここのところ、ここ十数年味わったことのない忙しさが続いています。この忙しさは、おそらく少なくても3月半ばまでは続く感じです。どこかへぶらっと撮影に行って気晴らしをしたいところですが、関係してくださってるみなさんを見ていると信じられないほどの仕事をこなしていただいているので、そんなことを言ってられません。体調は悪くないので、みなさんに支えられながら、なまった心身に鞭打って(と言っても無理はせずに)頑張ろうと思います。(六田知弘)

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2017.01.13 ただいま大型プリント中
「宇宙のかけら―御所」:六田知弘撮影

今、3月8日から始まる「宇宙のかけら―御所」展の大型プリント中です。一昨日は2月13日から東京 京橋の繭山龍泉堂での「ロマネスク」展のプリントをしました。
なんせ3ヶ所(東京、大阪、奈良県御所市)での写真展のためのプリントですからたいへんです。それに写真集「ロマネスク 光と闇にひそむもの」の製作もいよいよ大詰めです。
今、それらの準備で普段は写真を撮る事でしか使わない容量の小さい私の脳はほとんど飽和状態。それでも多くの方々の助けを借りて、今できる精一杯のことをやるつもりです。(六田知弘)

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2017.01.06 明けましておめでとうございます。
写真集『ロマネスク―光と闇にひそむもの』:六田知弘撮影

今年は新年早々の4日から、2月初旬に刊行予定の写真集『ロマネスク―光と闇にひそむもの』の追い込みで出版元の生活の友社に詰めています。
なんせ700ページを超える大部なので大変です。それでも束見本にカバーを被せて見ると、期待に胸が膨らんで、馴れない、煩わしいツメの作業も苦になりません。
これまで私が撮り続けてきたロマネスクの集大成です。2月13日から東京 京橋の繭山龍泉堂での写真展「ロマネスク」もあわせて、乞うご期待を。
今年はこのロマネスクもあり、写真展「宇宙のかけら―御所」もあり、「時のイコン」の写真展、「運慶」展や東京国立博物館の所蔵品の写真集のための撮影、台湾での写真展のための撮影、その他これから諸々、やるべき事が山積みです。
還暦を過ぎた頃から逆になんだかエネルギーが湧いてきたようでうれしいのですが、気負わずに、遊覧飛行を楽しむように自分のやるべき事をやっていければと思っています。私の本当の仕事はこれからのような気がしています。
今年は世の中全体の大きな転換点となると思います。
みなさん、どうぞよい一年をお過ごし下さい(六田知弘)

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